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木曽の桟 絶壁に沿って渡る桟橋の跡、日本3奇矯に数えられることがある。
木曽川左岸 架橋:1966年(昭和41)に現在の石垣に改修された
所在地 長野県木曽郡上松町桟地先                    09/08/20(木)訪問              地図 
JR木曽福島駅からおんたけ交通バスに乗車約10分、桟バス停下車すぐ。 
 桟(かけはし)は川を横切って渡す一般的な橋ではなく、断崖絶壁の岨道を渡るために作られたもので、障子の桟のような物を考えれば理解できる。片側を山の斜面が、片側は切り立った絶壁になっている所に架けられた桟道です。中山道一の難所です。
木曽川の左岸に架かっている 「木曽の桟」は、このような状況の地に、木の桟道をが架けられていた。正保4年(1644年)に旅人が持っていた松明を落としたことで焼失した後、翌年に大金を投じて中央部石垣を築いた。その長さは56間あったといわれている。

 現在は、この石垣(木曽の桟の名残)を覆うように国道19号線が上を通っている。当時の石垣は道路の下に残されていて、川の対岸から見る。国道19号線を走るおんたけ交通の「桟」バス停は、ちょうど石垣の上の辺りにある。
桟(かけはし)バス停 バス停のそばに対岸(右岸)へ渡る赤い色の橋がかかっている。渡り切ったところに桟の説明板が建てられた鑑賞のスポットまで降りて行く道が付いている。桟を詠んだ芭蕉、正岡子規等の句碑なども建てられている。

 この日は、桟を見たあと上松の町(上松宿)まで歩いたのですけれども、国道19号線の一部区間で歩道の全くない所が500m位あって、ひっきりなしに走りぬけてゆく大型トラックを、ガードレールに身を寄せながらの歩行が続きます。中山道の平成の難所と呼ばれているところです。

 今昔物語の28巻第38に、信濃の守藤原陳忠が任期が果てたので、帰京の途につく途中で木曽の桟に差し掛かり、馬もろともに谷底に落ちてしまう。落ちて行くときに掴んだ木の枝に、平茸が沢山に生えていたので、上から籠を下させてそれを採って帰った。そんな話が出ている。昔から、木曽の桟は難所としてよく知れるところであった。

右岸側から見た桟の石組 現在の旅人はトラック 対岸へ渡る赤い橋
木曽の桟の説明板(写真拡大) 正岡子規の句碑 中山道の平成の難所(桟−上松)
歩道のない所が500mくらい続く
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