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日本最古の橋(猪甘津橋)の古跡
実際の橋は架かっていません。モニュメントとしての説明板、石碑などがある。
所在地 大阪市生野区桃谷三丁目17−20                        10/04/18(日)訪問      地図 
JR大阪環状線桃谷駅下車、アーケードのある商店街を東に徒歩約7分。 
 橋巡りも事実上の橋にとどまらずに、橋の古跡の訪問にまでなってきた。今までにも、木の根橋(木の根っこが川を跨いでいる。)だの、橋杭岩(海岸線状にあたかも橋の杭のように並ぶ奇岩列。)などを探訪してきた。今回は、橋が架かっていたという歴史事実だけをモニュメントで記録している橋の探訪です。
つるのはし跡公園は建物に取り囲まれている JR大阪環状線桃谷駅からあるいて7〜8分の、商店街を少し離れた生活の真っただ中にそれはあります。そのことがよくわかるようにと、通りの様子を含めた写真を撮ってきた。大きな石碑を中心に、最後に石橋として存在していた当時の親柱4本、その石橋をモニュメント化した橋、橋の由緒を書いた説明板等などが、きれいに一箇所にまとめられて公園になっている。
  このつるのはし跡史跡の両隣も、道を挟んだ前にも途切れることなく建物が建っていて、全くの生活空間の中にある。現地の説明板によると、公園の前の道路に「つるのはし」があったということです。

つるのはしの説明板(写真拡大) つるのはし跡は日本最古の橋として名高い「猪甘津の橋」の古跡です。『日本書紀』の仁徳天皇14年の条に「冬11月、猪甘の津に橋わたす。すなわちその処を号けて小橋という」と記されている。架橋されたのは323年、本当に古い時代の橋です。
 最後の橋は、明治7年(1874年)に石橋に架けかえられて昭和15年(1940年)に廃橋になりました。この時の親柱がモニュメントとして残されている事は、先に説明したとおりです。
 つるのはしの名前は、江戸時代の地誌『摂陽群談』に「むかし、この辺りに鶴が多く群れ集まったためという」と記されていることに由来しているとも言われている。

 小野小町が訪れて詠んだ歌がある
        忍ぶれど 人はそれぞと 御津の浦に 渡り初めにし 猪甘津の橋

つるのはし跡碑 親柱(鶴之橋)  親柱(つるのはし) 小野小町の歌碑
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