HOME - 箱物見学記 - 近つ飛鳥博物館
古墳文化の情報センターの役割をになわせる。
開館 1994/03/25
述べ床面積 5925.20u
所在地  大阪府南河内郡河南町大字東山299番地          訪問日 平成20年11月18日        地図
アクセス 近鉄長野線富田林駅または喜志駅から金剛バスで阪南ネオポリス行きで終点下車すぐ
管理運営  大阪府文化財センター
利用情報  10:00−17:00(入館は16:30まで) 月曜および年末年始休館
        おとな300円 高校生・大学生・65歳以上の方 200円
 バス停(阪南ネオポリス)を降りたところは閑静な住宅街の奥まったところ。なぜこの場所に博物館があるのだろうかと思ってしまう。周辺には大陸系の遺物を出土する6世紀中葉以降の群集墳が広がっている、飛鳥時代の大古墳が集まっていてる。この地が、博物館とそれを取り巻く風土記の丘としての設定には適していたからではないかと思われます。
 住宅はその後で開発されたために近くまで迫ってきたものではないでしょうか。

博物館へのアプローチ(風土記の丘入口) バス停のすぐそばが大阪府立近つ飛鳥風土記の丘と云う公園施設になっている。園の中を散策する事が自由になっているのに、門がありゲートがつくられている。園への出入りの為の物々しいほどの管理棟まで設けられている。しかし、何の手続きをすることもなく自由に入れます。
玄関を入ったところ(喫茶コーナー) 園内は自由散策用の遊歩道があり、周りには木々が生い茂っていてハイキングコースを歩くような雰囲気があります。目的の近つ飛鳥博物館までは10分の標識が出ているくらいですから、この園(風土記の丘)は広大な面積を要しているのだと思います。

 建物はその全容がどうなっているのか分からないくらいの大きさです。玄関には館の名称など掲げていないので建物を左側に回り込むようにあるきました。階段状になっている建物の部分の中段の辺りにひときわ高く聳えている四角柱の構築物が見えます。これは、この建物のシンボルで黄泉の塔とよばれるものです。最上段まで階段を上がるとエレベータ塔があります。ここから下に降りて館内に入りました。
 エントランスロビーは広々としています。予想していたより人が滞留していました。一角に設けられた喫茶コーナーで遅めの食事をとりました。軽食程度の物しか置いていませんでしたが、1時頃であるにもかかわらずコーナーを利用している人が7〜8名います。

 受付で入場券を購入します。自動券売機は一般料金とシニア料金学生料金などを購入できるようになっています。シニア料金400円(値下げされたようです。)を購入しました。
 受付の職員に入場者がどのくらいかを聞いてみましたら、1日に100〜200人くらいですとの事でした。150人と見積もって年間に5万5千人くらいの入場者ですから、この施設が立派な割には極めて少ない入場者数ではあります。それでも、先にも書いたように私が予想していた以上の人の動きがある館内ではあります。

 展示物と展示館の大きさは、それは立派なものです。これをじっくりと見て回れば、どのくらいの時間がかかるのでしょうか。考古学に興味のある方にはこの施設は決して無駄施設ではないと思えるのです。ただ、もっと集客をするための方策、例えば府の広報誌を利用するとかの手段を講じるべきです。
 立地が悪いのは必然的な土地の選定もあって仕方がないのかもしれませんけれども、小中学生の見学を誘致、勉強会の開催などの、施設側の努力を促したいと思いました。
 展示物は、大型の迫力あるものから、勾玉、棗玉といった小物など点数も相当なものになります。フロアーが1階、中地階、地下1階となっています。
 一部吹き抜け構造になったところには高さ8mもの13重の塔の鹿谷寺石塔の復元模型があり、地下1階のフロアーには、直径10m縮尺150分の1と云う大がかりな仁徳陵古墳のジオラマもおかれています。長さ8.8m重さ3.2tの修羅の現物展示も圧巻です。

 この施設は、箱物として無駄施設と烙印を押すよりも、もっと集客数をあげて存在価値のあるものにしなければならないのではないでしょうか。いつかこのサイトで紹介する予定にしています「なにわの海の時空間」についてもこのことが当てはまります。

建物の正面部分 建物のシンボル(黄泉の塔) 室内の展示
鹿谷寺13重石塔の復元模型 正面入り口 近つ飛鳥風土記の丘園内
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