”さよなら三角また来て四角”ここまでしか覚えていないんですが、遊びの中でこのフレーズを口ずさんでいたことを覚えています。そこで、インターネットで調べても見ました。このあと、四角は豆腐、豆腐は白い、白いはウサギ、ウサギは跳ねると続く様です。しりとり歌という説明があります。 子供のころには言葉を操った遊びが結構ありました。それらを思い出すままにここに書いてみたいと思います。例によって、このページがどのように発展して行くかの予想はできません。 しりとり歌 さよなら三角が言葉の連想から次々と変化してゆく遊びなら、別のこんなしりとり歌を覚えています。言葉の中には今の時代には相応しくないものが含まれているけれども、その時代を思い出すよすがとなればと思いまして、記憶しているままに書いてみます。 陸軍の、乃木さんが、凱旋す、スズメ、メジロ、ロシヤ、野蛮国、クロパトキン、金の球、マグローフ、褌、締めた、高シャッポ、ぽーんやり、陸軍の乃木さんが・・・・・・ この歌の中の言葉をよく理解しないままに覚えて唱えていたから、今になってみるとよく分からないフレーズがある。出発点に戻ってくるところからすると、覚えている通りで、途中に欠落個所はないのではないかと思われます。 通天閣高い、高いは煙突、煙突は黒い、黒いは土人・・・・・・・ こちらの方ははっきり思い出せないが、高いはダイヤなどの別のフレーズもあったように覚えています。 かぞえ唄 かぞえ唄は女の子がまりつきをする時に歌うことが多かったように思う。歌を歌いながら順番にまりを突いたりまたいだりして遊んだものです。子供のころに歌ったものを書いてみました。 一番初めは一の宮、二で日光東照宮、三で讃岐の金比羅山、四で信濃の善光寺、五つ出雲の大社、六つ村々鎮守様、七つ成田の不動さん、八つ八幡の八幡宮、九つ高野の弘法主、十で東京二重橋、これ程信心したけれど浪子の病は治らない。 この歌につながっているのか、また別の歌なのか、次のような歌を部分的に覚えています。 十七〜八の姉さんが片手に花持ち線香持ち、姉さん姉さん何処行くの、私は九州鹿児島の西郷隆盛娘です。明治3年3月3日、切腹なされし父上のお墓参りに参ります。 絵かき歌 丸ちゃんが、3月3日に乙もろて、きれいな飴が10銭で曲がった飴も10銭で、縦縦横横丸描いてチョン、三日月チョン・・・・・・(ここまでしか覚えてない) はさみことば 子供のころに、暗号めいた話し方をして遊んだ思い出がある。例えば、「何云うてるか」と話すのに、「なばにびいびうぶてべるぶかば」といって遊んだ。これは、一音節ごとにバビブベボを一文字ずつ挟んで発音するもので、他にも、ノサを入れて話す方法のものもあった。 ものの本を読んでいて、これらは、総称して「はさみことば」として紹介されていることを知った。一音節ごとに一文字をはさむことばであるらしい。 さん上ばっからふんごろのっころちょっころふんごろで、まてとっころわっからゆっくるゆっくる が載せてあって、これも、「よっくるよっくる」、「つから」、「がら」などの意味のないことばを挟んである、近松作品の難解な箇所であるらしい。 高校生のときに古文解釈で、『心中天の網島』の講義を受けたことがあって、このくだりをなんとなく記憶の片隅に残しているのを思い出しました。 じゃんけんの掛声 じゃんけんをする時、「最初はグージャンケンポン」と掛け声をかけるようになったのはいつのころからの事なのでしょうか、私の子供のころにはそんな掛け声はありませんでした。少し長い掛け声になるが一時こんなのが流行っていた。 ジャンケンぽっくり下駄日和下駄まご一本摺ってシュ 言葉の謎かけ 子供のころになぞなぞ遊びをよくしました。この中には言葉の洒落を謎々の答えにするものがありました。たくさん思い出せないので今思い出すものをとりあえず書いておきます。 めくらの乞食(いまは全くの差別用語になっていますが敢えて書きました。)が橋の上で虱を取っています。何と云う橋 他愛無い子供の遊びでした。 何かのまじない? 奇妙な言葉を覚えています。この言葉がなにを意味するのか知りませんが、子供のころに覚えたものを今でも口ずさむことができます。それは、次のようなものです。意味が全く分からないのでカタカナ表記にしました。 イーリャンソ、ウーリャンソ、イズインジャンマニホ、ソウコウセンデン、デンメルドンヤ、ウーデチャンヤ、イッタイサン |