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「ねね」所縁の陣屋町 足守

岡山県岡山市北区足守  JR山陽本線岡山駅または吉備線足守駅から中鉄バス  2009年10月9日(金)訪問 地図

足守の町並み 足守は岡山市北区に含まれる地区なのに、岡山駅前から中鉄バスに乗車すると45分程もかかる郊外に位置している。JR最寄の足守駅からも4kmほど離れている。バスの回数が少ないことと、JR吉備線との接続が悪いこともあって、今回は、岡山駅発10時6分発の中鉄バスで訪問、足守駅15時36分発の吉備線の列車で岡山へ帰る方法を採りました。 

 足守の町並み保存地区はバス停足守プラザのそばの足守プラザに立ち寄ることから始まります。例によって町歩きの地図などを入手して、プチ情報を聞いてから歩き始めます。足守の町は、バス停を降りたところからすでに古い町の雰囲気が伝わってきます。平成2年に岡山県下で5番目の町並み保存地区に指定されています。

 この町は、姫路から1601年に移封され、途中一時期幕府領となったけれども、明治維新を迎えるまでの間、木下家の足守藩として存在していました。初代木下定家が豊富秀吉の正室北政所「ねね」の兄にあたることもあり、木下姓を継ぎ時には豊臣姓を名乗ることも許されたということです。岡山の豊臣家と町の人は誇りにしていたというお話も聞きました。 

 町の区画は、北西部に陣屋を構えた武家町が、南東部の街道沿いに商家群が配置されている。いまもその区画割りがきっちりと確認できるように街が存在し続けています。商家町群の町並みの連続性が素晴らしく、藤田千年治邸の少し先の道は両側に古い家並みが連続して残っています。町並が良く保存されているにはわけがあって、足守地区約三百戸のうち、江戸時代の伝統的家屋の姿をとどめるものは約三分の一の百戸にも及ぶ非常に高い割合を占めている。。

 公開施設などは無料になっていて、備中足守まちなみ館に事前に申し込んでおくとボランティアの説明も受けられます。また、足守プラザではレンタサイクルを借りることもできます。商家群の町並み約800mと武家屋敷群の散策には、ゆっくりと歩いてもそれほどの区域ではありません。レンタサイクルを利用するほどでもありません。

旧足守商家藤田千年治邸
 江戸時代に建てられ豪壮な造りの商家建築です。醤油製造業を営む傍ら肥料商なども営み昭和初期まで繁栄を続けていた建物です。内部には、醤油製造の工程、道具などの展示があって自由に見学ができます。
 本瓦葺入母屋造りで2階は黒漆喰に海鼠壁があしらってあります。

旧侍屋敷玄館の構え旧足守侍屋敷
 陣屋のおかれた武家屋敷の一角に建っています。この屋敷は家老職を務めた杉原家の住宅で、白壁・海鼠塀の長屋門と土塀に囲まれています。土塀の一部に城主の下降の時の通用門御成門が設けられています。
 母屋は茅葺の寄せ棟作り平屋建てで桟瓦葺の廂が付けられています。正面には唐破風の屋根を構えた式台玄関が付いている。広さは2畳分ほどあって駕籠をそのまま乗せて、そのままに座敷に上がれるようになっていると説明をお聞きしました。の座敷は伝統的な武家書院造を持っています。和風住宅の原型といわれている。
陣屋跡の碑

陣屋とその界隈
 侍屋敷の直ぐそばに足守小学校があります。その一角には、移築された北木下家の長屋門が建っています。元々は小学校の門として使われていたものです。陣屋跡はこの小学校に西側にあって、今は整備されて公園になっています。陣屋跡の先には木下利玄(木下家14代)の生家と近水園という藩主の庭園が残っています。

 この町からは緒方洪庵が出ています。彼は、足守藩士の子として足守陣屋町に生まれ、江戸に出て学んだ蘭学者です。緒方洪庵誕生地として史跡指定されています。足守川を渡ったところに銅像と碑が建っています。


まちなみ館

足守の町並み

薬医門を持つ家

足守の町並み

木下利玄生家

藤田邸の横道

旧足守商家
藤田千年治邸
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