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長 府 練塀が続く武家屋敷町
町並の分類:城下町門前町
文化財:長府藩侍屋敷長屋・菅家長屋門・吉岡家長屋など(市指定有形文化財)
公開施設:長府藩侍屋敷長屋(内部拝観自由)・長府毛利邸(有料) 
下関市長府古江小路町・長府惣社町・長府侍町・長府宮の内町       2011年5月25日(水)訪問     地図
JR山陽本線下関駅下車、サンデン交通バスで城下町長府バス停下車
 長門の国の国府が置かれたことから、長府と呼ばれるようになった。同じように周防国の国府が防府(防府市)と呼ばれている。この下関市の長府地区は、南西部、北東部、臨海部の三つに大きく分けられる。
長府小路町(菅家長屋門と練塀)の通り 城下町が残るのはそのうちの南西部にあたる。この地域は忌宮神社を中核として町が形成されており、城下町長府として景観整備がなされている。

 忌宮神社は城下町エリアのほぼ中心に位置していて、古くは門前町として開けたところです。江戸時代に入ってからは、長州藩の支藩・長府藩設置により長府毛利家が櫛崎城を構え、城下町として武家屋敷などが建てられてゆきます。

 当初は、現在の長府侍町付近に置かれた武家屋敷町が、時を追って長府古江小路町、長府惣社町などへと拡大して行きます。
 練塀と長屋門の連なる町並は、その長府古江小路町に残されています。石畳で整備された古江小路は、長府の城下町の様子を一番良く遺したところで、通りの両側の石垣の上に築かれた練塀が屋敷林の緑とよく対比しています。
長府毛利邸の門 古江小路に面して建つ菅家長屋門は藩の侍医を務めた格式のある家柄で、それにふさわしい構えをみせています。    

 長府毛利家が明治36年に建て長府毛利邸は、町並の西側に当たる功山寺の北側に建てられています。長府毛利家14代元敏によって建てられた邸宅で、明治天皇のご宿泊所として使われたことがある。
 功山寺は鎌倉時代の創建のわが国最古の禅寺様式で、高杉晋作、伊藤博文らにも縁のある寺院です。仏殿は入母屋の屋根に裳階(もこし)がついた桧皮葺で、国宝に指定されています。

旧野々村邸表門(長府侍町2丁目) 長府藩侍屋敷長屋(長府侍町1丁目) 長府川端町
古江小路の練塀の道 長府惣社町 菅家長屋門(長府古江小路町)
横枕小路の練塀 吉岡家長屋(長府宮の内町) 乃木神社に至る道(長府宮の内町)
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