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重伝建選定 1996/07/04

風待ち、潮待ちの港町 御手洗

広島県呉市豊町御手洗 JR呉線竹原駅から高速船で御手洗港 2009年8月5日(水)訪問 地図

 大崎下島に御手洗がある。今でこそ呉市の市街地方面から島嶼伝いに橋が架り、離島ではなくなっているけれども、ここ芸予諸島にはまだまだ船でしか行き来できない島が沢山ある。今回の旅で訪れた木江の町は、大崎上島にあって、ここへは橋がかかっていない。

常盤町とおりの町並 江戸時代に沖乗りという航法が発達した時から、御手洗は風待ち、潮待ちの港町として、中継貿易の基地として発展してゆく。そしてそこに人が集い、物が集まり、文化が育ちました。その結果、御手洗の町には江戸から明治、大正、昭和初期までに建てられた貴重な建物が混在して残っている。

沖乗り
 沖乗りと云う言葉を御手洗の町を訪れて初めて知った。船が航行するとき、航海技術が未発達な時代にあっては、陸地を伝って航行する地乗りが通常に行われていて、外海に出て島嶼伝いの
沖乗りという航路を採ることが少なかった。それが航海技術の発達とともに、瀬戸内海の中央部の最短距離を行く沖乗り航路が利用され始めた

風待ち、潮待ちの港
 沖乗り航路の発展とともに、御手洗の港が潮待ち、風待ちをする港としての立地にあったために、寄港する船が増え始め、それに伴って集落が発達し人口が増えて反映してゆくことになる。沖行く船のために、広島藩から公認された遊女屋が島内に4軒置かれて、数多くの遊女を抱えていたこともあった。

常盤町通り
 江戸時代の雰囲気を残して保存された町並みが、常盤通りにあります。ここが、御手洗の重伝建のメインの通りです。この通り以外にも見るべきところが沢山ありますけれども、街並みの連続性の一番感じ取れる地域です。切妻または入母屋造りの白漆喰の塗込めの妻入り家屋が並んでいる。二階には大きな木格子の窓が付けられている凝ったつくりの家屋もある。
 街の情報センターの潮待ち館は、この通りの旧家を保存して旅行者を迎える。通りのはずれに旧柴屋住宅があって内部の拝観が出来る。ここは、御手洗町年寄役を代々勤めた高橋家(屋号柴屋)の別宅で伊能忠敬も宿泊したといわれている。広島藩主が来島した時の本陣としての役割も担っていた。

若蛭子屋
 一時は御手洗には4軒のお茶屋があり、100名ものお女郎が住んでいた。「若蛭子屋」はその4軒のお茶屋の唯一存続する1軒になってしまった。今はシロアリの被害が出ていて内部の拝観が出来ない。通り側から眺めるだけになっているのが惜しまれる。入母屋造・妻入・本瓦葺で1724年の建築です。
 この、若蛭子屋の向かい側には元醤油蔵であった蔵が建っていて、斜め向かい側には「金子邸」がある。金子邸は、長州軍と芸州軍が討幕のための約定(御手洗条約)を結んだところです。内部の公開がされていません。長い屋敷塀に囲まれた平入りの建物です。

昭和モダンの町
 御手洗の町で特徴的なことは、江戸時代の古い町並みと調和して、昭和期のモダンな洋風建物が散在していることです。下見板張りの建物の外装を水色、ピンク色、オレンジ色などに塗装して、建築当時はハイカラな洋風建物であったものが今も、町の景観にうまく溶け込んで残っています。中には今も医院として営業中の建物がありました。

 昭和12年に建てられたという「乙女座」、今も営業を続けている「松浦時計店」など、レトロな通りも残っています。

その他の歴史的建物
 鞆田邸は、明治時代に建てられた寄せ棟造り妻入りの町屋で、2階の海鼠壁が目を引きます。江戸時代末期の御手洗の町屋建築様式を残しています。この建物の隣と向かいに洋館が建っているのも、先にも書いたこの町の特徴です
 脇屋家住宅「脇屋」は元薩摩藩の船宿を務めたところです。17世紀初めころの建物で町屋の様式を残している。表構えは千本格子の出窓付きとなっています。この脇屋の向かいと隣にもハイカラな洋館が建っていて、御手洗の特徴ある町の雰囲気を醸し出していました。
 七卿落ち遺跡は、江戸時代末期に三条実美ら5人の公家が幕府派から逃れるため、長州へと向かう途中に風待ちをした屋敷跡で、県の指定史跡として残っています。

製作中のおちょろ舟おちょろ舟
 御手洗に寄港する北前船などの交易船が付くと、遊女を乗せた
おちょろ舟が沖に漕ぎだして行く。昭和33年の買春禁止法が施行されるまで、御手洗にはおちょろ舟があったといいます。
 海に面した通り(住吉通り)の当時の船宿を改修保存している船宿跡の建物の一角で、船大工をしていた宮本さんとおっしゃる方が船のミニチュアを作っている。店先には、「おちょろ舟」や「北前舟」の完成品も置いてありました。テレビ、新聞などのメディアの取材も多いそうで、中には有名人もここを訪れてきています。「年金で生活しているんじゃが、船を創っていても儲からんからね。」と話して下さいました。「因みにこの大きさでどのくらいの時間がかかるのですか、いくら位で購入できるのですか。」と下世話な質問をしてしまいましたが、それほど高くないので、やっぱり商売のためだけのお仕事ではないようです。


住吉通りの船宿

船宿にある
ミニチュア船の工房

鞆田邸
海鼠壁

脇屋と洋館

松浦時計店

若蛭子屋(右)と
醤油蔵(左

金子邸

旧柴屋
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