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村 田 豪勢な店蔵や門が数多く残る  小京都(全国京都会議加盟)
町並み分類:在郷町・城下町
文化財:武家屋敷旧山田家(県の史跡)
公開施設:村田商人やましょう記念館・村田町歴史みらい館
柴田郡村田町大字村田                          2011年9月1日(木)訪問        地図
JR東北本線大河原駅下車、ミヤコーバス川崎線で約20分、村田中央バス停で下車。
 村田は伊達家ゆかりの小さな城下町であるが、仙台と山形を結ぶ交通の要衝にあって、紅花・生糸・農産物の交易の地でもあり、かつては商業都市として栄えた在郷町でもある。
 村田商人は、伊達藩が栽培を奨励した紅花や藍を仙南地方で買い集め、江戸や上方へ運ぶ商取引を行っていました。帰り荷として呉服、古着、瀬戸物、薬などを持ち帰りました。

 村田の町並み村田には多くの蔵が残っている。造り酒屋を始め紅花の取引で財を成した豪商の蔵が、甍を競って立ち並ぶ様は、蔵の町の名を欲しいままにしています。多くの蔵が残されたのには、東北本線が村田の町を通らなかったこと、また、大きな災害に見舞われることが無かったことも幸しています。そのため同時期に一斉に建てられたものではなく、各時代の店蔵が建っているのも大きな特徴といえます。

 村田の町の家屋は、殆どが店蔵と呼ばれるもので、土蔵造りの店舗になっている。切妻造りの平入りで2階建て、2階外壁の下部を海鼠壁にし、観音開きの窓をつけています。村田商人やましょう記念館の建物とそれに並ぶ3軒の家屋は町の中でも一際立派です。
 各々が主屋の南側に門を構えています。このうちの「やましょう記念館」の門は薬医門になっています。残念なことに、今年の3月の東北大震災の被害がこの町のも及んでいて、漆喰壁が大きく崩落しています。
 やましょう記念館の店の間(帳場と金庫)やましょう記念館前で店を構えておられるご当主が、被災のために休館中の「村田商人やましょう記念館」の中を見せてくださいました。薬医門の説明もしてくださいました。建物の中には鎚壁が落ちて、手のつけられないままになっているところもあります。

 蔵の建ち並ぶ筋の2筋西側の通り、村田町役場の辺りに、武家屋敷風の佇まいを感じましたので歩き回っていて、武家屋敷(旧山田家)を見つけました。この建物は屋根がトタンで覆われて風情が感じられませんが、町の指定史跡になっています。城下町の雰囲気を持った町でもありました。

 村田では、震災後の復旧に苦慮している様子です。既に被災した建物(蔵)を取り壊したてしまったというお話も聞きました。しかし、通りに面した蔵については観光のための資源でもあるために、復旧を考えておられるようですが、公的な援助が受けられません。
 これほどに立派な蔵が建ち並んでいるのに、国の登録文化財や県指定の文化財になっているものが一つもないのです。惜しいことです。一刻も早く、文化庁の調査が入って、国からの手が差し伸べられることを願ってやみません。

 
大沼酒造店(清酒乾坤一)
創業は1712年(正徳2年) 
大沼酒造店の庵看板 3軒並んだ豪商屋敷
一番向こう側が「やましょう記念館」
武家屋敷(旧山田家) 山田家の屋敷塀 店蔵に続く主屋は
この町で最も古い建物
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