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五個荘金堂 近江商人の故郷    重伝建選定 1998.12.25
町並み分類:農村集落陣屋町
文化財:旧藤井家住宅(登録有形文化財)
公開施設:金堂まちなみ保存交流館・近江商人屋敷(3邸)・旧藤井家住宅
滋賀県東近江市五個荘町金堂                           2009年10月1日(木)訪問      地図 
近江鉄道本線五個荘駅下車徒歩約25分またはJR能登川駅から近江鉄道バス「生き生き館」前約10分

花筏通り(右−外村宇兵衛邸) 五個荘金堂地区へ行くには、JR近江八幡駅から近江鉄道に乗車して五個荘駅下車のほか、JR能登川駅から近江鉄道バスに乗って向かう方法がある。乗車時間はバス便の方が短いので、JRの便との組み併せ方で今回はバス便を利用しました。
 駅前から八日市行きバスに乗って「生き生き館」前で降ります。約10分くらいの距離です。生き生き館は五個荘町金堂の観光案内所でもあって、館内に置かれている町歩き地図などが入手できます。道順なども親切に教えていただけました。   

 重伝建地区は、「生き生き館」隣接の駐車場をぬけて50mくらいの所から始まります。先ず目に飛び込んでくるのが立派な甍を持っている弘誓寺(ぐぜいじ)です。この弘誓寺を挟む2本の通りと、間をつなぐ4本の道がに白壁と舟板塀の家屋が立ち並んでいます。
 弘誓寺のそばのてんびん通りから、堂中通り、陣屋通り、花筏通りと名前が付いています。弘誓寺の門前の水路には錦鯉が泳いでいます。この水路の水を取り込んだ「かわと」と呼ばれる水場が屋敷の敷地内に設けられています。

 陣屋通りには陣屋跡を示す説明が建てられています。大和郡山の領地をおさめるために金堂地区に陣屋をおいていたようです。この陣屋と弘誓寺、安福寺、大城神社などの寺社を中心に形成された条里制地割の農村集落です。五個荘は、近江八幡、日野とともに近江商人発祥の地です。江戸時代初期に発生した近江商人、その100年くらい後から発祥の日野商人に遅れることさらに100年くらいの江戸時代後期から明治大正に掛けて五個荘商人が多く輩出されました。   

金堂まちなみ交流館金堂まちなみ保存交流館
 平成20年に開館したばかりの施設です。弘誓寺の裏の道にあります。町歩きにはここの見学から始めるとよいと思います。いろいろとお話を伺うことができます。建物は江戸期に建てられて明治になって2階が増築されたという立派なものです。金堂地区を代表する外村宗兵衛や中江富十郎などが過ごしたという旧家です。
 内部の拝観が自由で池泉回遊式の庭、当時のままの由緒ある座敷の畳の上も自由に歩くことができます。  

近江商人屋敷
 昔ながらの形を留める商人屋敷のうち、内部拝観などが可能な外村宇兵衛邸、外村繁邸、中江準五郎邸は花筏通りをはさんで寄り添うように建っています。商人屋敷は広大な敷地を板塀で囲み、内部に入母屋や切妻造りの母屋を中心に、離れや・土蔵・納屋などを配して建てられています。
 この中でも外村宇兵衛邸の屋敷はひときわ広くて池泉回遊式の立派な作庭が施されています。屋敷の敷地内に設けら「かわと」も大きな鯉が飼われているほどの木きなものでした。建築後ほぼ150年を経た建物です。外村繁邸は外村繁の生家です。外村繁は昭和の初期に活躍した作家です。
 屋敷への入口は構えの大きな門を作るでもなく、近江商人の質素倹約の思想が表れています。板塀には舟板を利用した建物も多くみられます。

 内部拝観が可能なこの三邸から離れて藤井彦四郎邸(五個荘町歴史民俗資料館)があります。こちらは時代がもう少し下がって明治初期になって建てられたものです。先の三邸に比べてもっと広大な屋敷地を持っています。

弘誓寺の通り 花筏通り 藁ぶき屋根のそば屋
中江準五郎邸 船板塀 かわと
外村繁邸 弘誓寺横の水路に泳ぐ鯉 外村宇兵衛邸
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