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重伝建選定 2006/07/05選定

薬種業で栄えた城下町 大宇陀

奈良県大宇陀市大宇陀区  近鉄大阪線榛原駅下車奈良交通バス約20分  2009年2月7日(土)訪問

 選定されて間がない重伝建地区を訪れると、急ごしらえの町並みの整備中という光景を目にする事があって、ちょっと興醒めをする事がある。ここ大宇陀松山地区は、平成18年の重伝建選定であるけれども、もうずっと遠い昔からそうであったという街並みの調い方です。
大宇陀松山の町並み その一つの事例として、町歩きのための資料(パンプレットなど)がいろいろと用意されていてる。重要な見学のポイントには最近設置されたと思われる表示に加えて、ずっと前から表示がされていたようなものまで、この地を訪れた者には親切な環境が整っていました。

 今日は、榛原駅から乗車した奈良交通のバスを西山バス停で降りて、街道を南に下りながら見て歩くコースを選択しました。バスを降りてほんの2〜3分歩くと重伝建地区の入り口に当たる松山西口関門に着きます。町並みの整備が速くから進んでいて、ここまでの行程とここから後の歩くコースが、事前に入手してきた地図や町に出ている案内表示のためにスムースに運びました。

路地から正面に山邊家を見る 大宇陀は城下町として栄えたあとも、地の利を生かして、吉野葛、薬草、和紙の集散地として発展を続けます。先に見た、松山西口関門は、松山城の遺構として現在唯一残されているものです。町並は、この西口関門から南に約1.2km続きます。
 家屋のほとんどが漆喰塗込めの厨子二階切妻造り平入りで、妻入りの家屋をあまり目にする事がありません。そのためか、家並みに変化がないと言えば当たっているのかもしれませんが、虫籠窓、漆喰の色、格子の種類など、各戸に特徴を持たせたて建てられていて、家屋の説明を読みながらそれを観察してゆくと、その変化が分かって、趣の違った町並みを感じることができます。ここでは、各家屋の個別の説明をしませんが拝観ができる施設と主だった家屋について触れておきます。

歴史文化館「薬の館」
「薬の館」の庵看板 薬種問屋であった旧細川家住宅を市が買い上げて有料の施設として、一般に公開しています。邸内には当時の薬を販売するに使用した様々な道具類が展示されています。中でも、木製看板をはじめとして、歴史の変遷が分かる広告の類が数多く展示されています。その他にも当時の様子を伝える資料もあり、屋敷の内部の生活の空間もそっくりと見学できます。
 この建物は、藤沢薬品工業梶i現アステラス製薬梶jの初代社長藤沢友吉の生家でもあります。屋敷蔵を利用した藤沢薬品コーナーには、藤沢薬品にまつわる展示もなされていました。
 最後に、この建物の説明には屋根看板(庵看板)を付け加えておきます。銅板葺唐破風付きの立派なもので、「人参五臓圓・天寿丸」と薬の名前が書かれています。

山邊家
 大宇陀の重伝建地区で最も古い建物です。天明5年(1785年)の建築といわれています。かっては宇陀紙の総元締めを家業としていた。宇陀紙は吉野でできたものをこの山邊家でなど松山商人が流通させていまっした。大宇陀では葛も生産されています。こちらは吉野葛として名前が通っています。「吉野でできて宇陀紙、宇陀でできて吉野葛」という例えがあるそうです。

森野吉野葛本舗(森野旧薬園)
 森野吉野葛本舗は今も葛を製造して販売しています。「元祖吉野葛」と書かれた木製の看板と葡萄色(えびいろ)の暖簾が風情を醸し出しています。店先では葛製品が販売されています。店舗の裏に葛を製造している工場があります。
 拝観料を払って屋敷の裏山の旧薬園を見ることができます。この薬園は250年も前に作られたものが今もなお往時の姿を残しているところです。250種もの薬草が栽培されています。

森岡家住宅
 この町では珍しく妻入りの建物です。建物そのものは大正期に建てられたもので、大宇陀の町では新しい時代の建物です。料理旅館をしていたが今は医院を開業している。この建物を裏の宇陀川の方から見ると3階建てになっている懸崖造りでであることが判ります。

黒川本家黒川本家
 代々葛を商っている。寛政3年(1791年)の祈祷札があることからこれより古い建物であると考えられている。軒先に掛けられた吉野葛の看板は歴史の重みを感じるものです。作家の谷崎潤一郎が愛した店。この建物の特徴は、座敷玄関と子持ち長屋の形式になっていることです。
 大宇陀の町には、座敷玄関を持つ家が何棟か残っています。玄関は直接に客間や仏間に行けるようになっているもので、通常の出入りいは土間のある入口を利用しました。座敷玄関は冠婚葬祭などの公的な行事に使用された出入り口と思われます。

松山地区まちづくりセンター「千軒舎」
 旧内藤家住宅をまちづくりセンターとして公開している。建物こそ外観を改造してあるが、内部には各所に改造前の形が残っている。屋根には煙り出しの越屋根が付いている。そう言えば、大宇陀の町並みには越屋根が付いた家屋はそれほど多くはないことに気がつく。

吉村酒造 卯建があがっている大宇陀の造り酒屋
 この町には2軒の造り酒屋が今も操業を続けています。久保酒造は元禄15年(1702年)に創業した造り酒屋で、現在の主屋は明治42年に建て替えたもの。切妻・桟瓦葺・平入、間口10間半の大規模な建物です。黒漆喰の外壁に横長の虫籠窓があり、軒先には杉玉がかかっています。犬矢来、各種の格子が趣向を凝らした造りとなっている、伝統的な町屋です。

 もう一つの造り酒屋芳村酒造は久保酒造から南に少し行ったところ、宇多の町並みのほぼ外れにあります。建物は昭和に入ってから建造されたもので新しいのですが、格子、黒漆喰の伝統的町屋で、この町では珍しく母屋の南側に2層卯建をつけた片卯建の造りです。建物が新しいけれども町並みにしっくりと融和しています。

説明文が青字のものは写真が拡大します。 
「林家住宅
座敷玄関を持つ
福田医院は大正の
末期に建てられた
山邊家住宅」
大宇陀で一番古い
川尾家住宅」の
菱形の虫籠窓
久保酒造 森田家住宅」
誰も住んでいない
「薬の館」
旧細川家住宅
葛商「黒川本家」 「森野旧薬園」
裏山に薬草園がある
薬草園から見た
葛工場と建物群
森岡医院裏から
見ると3階建て
松山西口関門
城下町唯一の遺構
都司家住宅」
座敷玄関を持つ
「植田家住宅」
油商を営んでいた
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