HOME - 町並みを訪ねて - 古い町に今も残っているお宿
古い町に今も残っているお宿
 歴史的町並みを訪ねてみると、今もなお、当時のままの姿をとどめながら、旅人をもてなす宿に出会うことがある。中には、つい最近まで営業をしていましたという宿もありました。そのような宿をここにまとめて紹介しています。 
中山道赤坂宿「大橋屋」  中山道垂井宿「亀丸屋」  中山道妻籠宿「ふじや」
伊勢古市「麻吉旅館」  立場茶屋寝覚「たせや」  中山道桶川宿「武村旅館」
中山道赤坂宿「大橋屋」   愛知県豊川市赤坂町   2009年3月4日(水)訪問            赤坂宿の町並み
 大橋屋は1711年に建てられた間口9間の二階建。軒先に吊るされた大きな提灯が、いかにも年代を感じる古めかしいものです。中に入らせてもらって土間、店先の写真を撮らせていただきました。
 ご当主のお話では、予約を取れば一日に2組までの宿泊ができるようです。東海道の歩き旅をしている人が泊まりに来られますということです。店の間から2階に上がる階段は、時代劇などでよく見ることがある幅の広いものになっています。天井はなくて2階まで吹きぬきになっていて、小屋組みが見えます。大きな梁と煤けた柱、上がり框の材の太さなど、300年の歴史を感じる建物です。
街道に建っている旅籠大橋屋 大橋屋土間 屋号を染め抜いた暖簾
中山道垂井宿「亀丸屋」   岐阜県不破郡垂井町垂井   2008年8月3日(日)訪問         垂井の町並み
丸亀屋西村家 1777年(安永6年)の創業と云うから、230年以上も前の時代から今もなお営業が続いている。垂井宿の中心部に当たる中町の枡形のある角地に建っています。
 もともとは妻入りであったが、道路の拡幅のときに角きりされたため、現在は写真に見るように平入り家屋になっています。
 それでも往時の姿を良く残しています。宿泊すると内部の様子も、昔を偲ぶことが出来るような形で残っているということです。
中山道妻籠宿「ふじや」   長野県木曽郡南木曾町    2007年3月25‐26日(日‐月)訪問宿泊     妻籠の町並み
 民宿ふじや妻後宿には、旅籠をはじめ木賃宿と呼ばれるものも修復保存されて残っています。昔の宿泊施設には、参勤交代の大名を泊めるために用意されていた本陣、予備的にその用をなした脇本陣など格式の高いものの他に、一般の旅人を投宿させる旅籠と云うものがあった。
 木賃宿と呼ばれるのは、木賃(燃料としての薪)の賃料で泊まれるという意味の安宿である。妻後宿には、この木賃宿が何軒か、内部の様子も拝観できるように保存されていました。

 本来ここには、もともと旅籠であって、今も営業を続ける旅館を紹介するところですが、写真を取っていないので、その当時は、旅籠としてあったものではないが、平成の世に民宿として営業する古民家のうちの一軒で、実際に宿泊したので紹介しておきます。

 各々の部屋はふすまを隔てただけのもので、内部を旅館のように改装していなかったのが、今の時代には経験の出来ない生活スタイルです。食事をとるのも二部屋のふすまを取りはらっただけのもので、座布団に座って箱膳にのった料理を同宿する人たちと一緒に食べる。
 朝の出立のときに表の格子戸を開け放ってくださり、「出居」の様子を説明して下さいました。下の写真がそれです。妻籠では、単に「出」と呼んでいるとのことです。 

夕闇の中の街道 格子戸を開け放った出居の様子 食事を用意された部屋
伊勢古市「麻吉旅館」   三重県伊勢市中之町         2009年3月27日(金)訪問      伊勢古市の町並み
 花月楼 麻吉(麻吉旅館)伊勢の古市は、お伊勢さんへの「おかげ参り」の帰路、旅人の「精進落とし」で栄えた街で、江戸の吉原、京都の島原などと並び、江戸時代には「五大遊郭」と言われたところ。芸妓の置屋、お茶屋(料亭)などが70軒余も連なり賑っていた。
 今訪れてみても、何事もなかったように静まり返っている。そんな中にあって、麻吉旅館だけが往時の姿をとどめて、今もなおかつ営業をしている。宿泊のできる建築物として、「名建築に泊まる」(稲葉なおと著)でも紹介されている。

建物も階段に沿って下っている 創業は嘉永4(1851)年、創業150年余とも云われているが、古地図やさまざまな文献によって、それよりもっと古い時代の建築であることが分かっている。200年を優に越しているのではないかといわれる。

 建物は6階建てになっている。いきなり地上から屹立してそそり立つ木造の6階建てを想像しても、写真(右)に見るような、ごく普通の2層の建物。
 建物の右側の道が階段になっている、建物もこの坂道を下るように下のほうにと続いている。
 懸崖造りと呼ばれるもので、麻吉の看板のある階から下に6層の建物になっている。

立場茶屋寝覚「たせや」   長野県木曽郡上松町大字小川   2009年8月20日(木)訪問     寝覚めの町並み
 寝覚は上松宿のはずれにあって、中山道の中でも景勝の地です。木曽川の水流によって花崗岩が侵食されてできた寝覚の床と呼ばれる自然地形が素晴しい景観をみせている。この寝覚は上松宿の立場茶屋として旅人の憩いの場所でもあった。「たせや」全景

 この場所に「越前屋」「たせや」と云う昔からの旅籠が残っている。「越前屋」は蕎麦屋として今も商売をしている。「たせや」は最近まで民宿として旅人をもてなしていたという。
 前日に宿を取った「ねざめホテル」で紹介していただいて、次の日の朝に「たせや」さんを訪ねました。ご主人が対応に出て下さいました。連れ合いを亡くして今は廃業しているということでした。

 土間に入らせていただいて内部の写真を撮らせていただきました。1階の店の間には囲炉裏が切ってあり、天井がなく太い梁などでできた小屋組みを見せています。柱や建具は煤で黒光りがして、幾星霜もの歴史が刻まれています。
 今は使われていない部屋には、古い調度品などが詰め込まれています。階段を上がって2階の部屋もほんの少しだけ見せていただきました。

一階の店の間に囲炉裏がきってある 天井がなく小屋組みを見せています 二階には調度品が収まっていました
中山道桶川宿「武村旅館」   埼玉県桶川市南1丁目   2010年12月18日(土)訪問          桶川の町並み
登録有形文化財武村旅館 桶川宿は、江戸時代末の天保年間には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠が36軒あったとされている。そのうちの一軒の小林家は材木商を営んでいる。もう一軒の武村家は、今も武村旅館として存在する。

 この2棟の建物は国の登録有形文化財に指定されています。武村旅館に宿をとれば、文化財に泊まることになる。武村旅館は、外見も歴史的建造物のそれらしさを感じる造りではあるが、内部は江戸期のままの姿をとどめている。なにしろ、登録有形文化財に指定されているくらいなのだから。

 皇女和宮が中山道を下向した文久元年(1861年)には、ここで、紙屋半次郎が旅籠を営んでいたと武村旅館の説明板に記されています。建物は江戸の末期(1830−1867年)のもので、明治末期に一部改造されている。

inserted by FC2 system