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重伝建選定 1985/04/13

塩飽水軍の本拠地 本島笹島地区

香川県丸亀市本島町  JR丸亀駅から本島汽船で本島泊港  2007年12月19日(水)訪問

新在家海岸から瀬戸大橋 本島は瀬戸大橋の架橋後、そのビュースポットとして名前を聞くことがあった。実は、何年か前にこの島を訪れたことがある。この時にはもうすでに笹島地区は重伝建地区に選定されていたけれども、島に渡った目的が瀬戸大橋をこの島から眺めてみることにあったため、笹島地区までは行ってこなかった。
 今回、重伝建地区を訪れる為に計画をしていて、そんな島だったんだと気がついた次第です。こんなことは、今回のこの島の訪問だけではなく、過去に訪問した土地が重伝建の選定を受けたところであったり、他のページでも紹介している芝居小屋であったり、鏝絵を見ることが出来る町であったなんていう事があり、もっと写真を残しておけばよかったと悔やまれることがある。

本島への足
 JR丸亀駅から6〜7分でフェリー乗り場のある丸亀港に着く。本島汽船のフェリーで35分、客船ならば20分で渡ってしまう。到着地(泊港)の乗船場にレンタサイクルがあるのでそれを利用して、島の北東部にある笹島地区の重伝建地域まで移動します。

塩飽勤番所本島の塩飽衆
 本島は塩飽諸島の中心の島で、豊臣秀吉の朝鮮出兵で活躍したことで朱印状を授かり、以後塩飽水軍として海の交易で栄えたところである。爾来、家康などからも朱印状を受け江戸時代中期まで繁栄をきわめていたところです。その後の、塩飽水軍の需要の減退に伴い、船大工の技術を生かして塩飽大工として活躍の場を求めて各地に出かけたそうです。
 小田信長、豊臣秀吉を経て徳川幕府までの朱印状を得て1250万石の自治を許された650人の船方衆がいた。その中から選ばれた「年寄」たちが政務をつかさどった塩飽勤番所がある。国の史跡に指定
されている。観覧料を払って中に入ると、各朱印状、初めて太平洋の横断に成功した咸臨丸の資料、塩飽水軍の歴史資料等が拝観できる。

千歳座石の鳥居制札場木烏神社・千歳座
 泊港からそう遠くない(レンタサイクルで5〜6分)ところに木烏神社があり、1627年に寄進されたという石の鳥居、勤番所からのお触れを揚げた制札場(宿場にある高札場の役目を持っている)、1862年に建てられた芝居小屋(千歳座)がある。この千歳座は琴平の金丸座とともに全国に残る重要な舞台の一つということです。千歳座の造りは普段は芝居小屋でない装いを持っていて、講演を行うときには前面の板戸を外して舞台を見せるようになっていて、観客は境内に座って鑑賞するようになっている。これは庶民に華美な生活を禁じていてことへの対抗として取られたものです。金丸座のような本格的な演出装置、桟敷などを持つ芝居小屋とはまた違った種類のものであるが、その歴史的価値については変わるところがない。

重伝建地区笹島
東小路通りの町並み 北側に海が開け三方を山に囲まれた東西約200m、南北約200mの地域に110棟余りの伝統的建造物が立ち並んでいます。建物は塩飽大工の技術が残されています。通りは見通しが効かないように緩くS字状にまたL字状に曲げられていたり、T型に交差させてあったりします。このような配慮は宿場町の桝形であったり、外敵の侵入を防ぐために造られた寺内町のあて曲げの例にも見られるところです。
 建物は江戸期から明治期の町屋形式が色濃く残っていて、本瓦葺厨子2階建てにして、上階は塗屋造で虫籠窓や格子窓を設けたもの、ナマコ壁を持つ建物、土塀をめぐらした農家風の建物なども見られる。

 内部拝観が可能な建物は、笹島町並み保存センター(真木邸)、旧真木邸、ふれあいの館、藤井邸(文書館)などがある。笹島町並み保存センター(有料)は管理人さん(真木邸のご当主なのでしょうか)がお茶の接待をして下さり、町の歴史、塩飽水軍の話などを聞かせてくださいます。もちろん建物の内部の説明も御聞きできました。真木はさなぎと読みます。
 向かいには旧真木邸があり、このたてものはおもてからの見学です。文書館になっている藤井邸は無人でしたが、自分んで出入り口を開けて自由に拝観して下さいと教えて下さいました。

鏝絵を見つけました
 重伝建地区を南に少し外れたところに、この鏝絵は残っていました。老朽化がだいぶ進んでいる農家の壁にそれはありました。建物の痛み方にしては彩色の跡が十分識別が出来るだけの色を残しています。 


マッチョ通り

町並み保存センターの道

持ち送り

ふれあいの館
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