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重伝建選定 1988/12/16

卯建の上がる町並 脇町

徳島県美馬市脇町大字脇町  JR徳島線穴吹駅下車タクシー約10分  2008年9月18日(木)訪問

 吉野川沿いに列車が走って、穴吹駅には特急乗り継ぎで40分くらいで着きます。卯建の上がる脇町の中心部は、駅前の吉野川を渡った北側に位置している。駅からのバス便は本数も少なく接続などの点でも利用しずらい。駅前に待機しているタクシーを利用した。タクシーで降ろしてもらった道の駅藍ランドのバス停で帰りの便を調べてみるが、それに合わせて行動するには制約が多いように思われたので、帰りも列車に合わせてタクシーで帰ることに決めた。

吉田家住宅から東向きに見た南町の町並 タクシーを降りて通りにあがったところは、卯建の町並みの丁度真ん中あたりのところで、この道が東西左右に全長で約400mくらい続く。南町と呼ばれている。目に飛び込んでくる並び立つ卯建に圧倒される。この通りは、吉野川から分かれた大谷川の西側に位置している。
 藩の奨励した藍の生産は、江戸時代から明治にかけて阿波の代表的な産業として広がり、吉野川の水運にも恵まれて、脇町は藍の集散地として、藍商、呉服商の商人が栄華を極めた町です。

卯建を競う
 脇町の特徴は防火壁として発達した卯建が、競い合っていて巨大化して並びあっているところです。岐阜県美濃市の本卯建の町並みの美しさとは別に、脇町の卯建は袖壁卯建と呼ばれるものであるが、重厚な姿に力強さを感じる。隣り合った家屋では、隣の卯建をと大きさと意匠において競うように造られたものがある。
 発達の段階において大屋根まで達するものがある反面、背を低くして幅を持たせたもの、妻壁を前にせり出した袖壁になっているものなどがあります。卯建を持たない家屋、片側にだけ卯建を持つ家屋などの変化もあって、脇町では卯建の新しい発見があります。 

吉田屋
 南町筋のほぼ真ん中あたりの吉野川を背にして立っている。元は藍商、屋号を「佐直」と称していた。有料の施設として内部が拝観できる。脇町でも1、2を争う豪商の家屋で町指定の文化財です。

脇町で最も古い家屋 国見家国見家
 この脇町で最も古い家屋で、1707年に建てられたものです。軒裏まで漆喰で塗りまわしてあります。卯建は家屋の向かって右側にだけ付けれた片卯建の建物です。この家屋も、藍商「佐直」の家屋も敷地は裏の吉野川にまで通じています。

田村家
 国見家に次いで古い建物で、1711年の棟札があります。この建物は卯建を持っていません。卯建が防火の目的で付けられるようになったことを考えると、火災から焼け残って立っている証かもしれません。良しでけ、国見家同様に裏の吉野川に至る敷地を有しています。

森家
 先の3軒の家屋とは通りを挟んで向かい側に立っている建物です。この建物も奥行きの長い敷地を有していて、南町筋から一つ北側の中町に至る大きさになっています。日にち限定で内部拝観ができるような貼り紙がしてあります。土日祝の10時から16時に無料拝観が出来るようです。この建物は醸造業を営んでいたところで、後に医院して開業を続けていたところでもあるようです。この建物には両側に卯建がついています。

そのほかの家屋


平田家
将棋名人小野五平生家

平田家東隣の家屋
卯建が大屋根に届いている

一番古い呉服屋
ふれあい館

国見家
片卯建の家屋

国見家西隣の家屋

正木家
鼠漆喰になまこ壁

正木酒店
袖壁卯建と書状箱

森家

大塚家
南町で最も間口が広い

田村家
卯建を着けていない

吉田家住宅

卯建その他いろいろ


バッタリ床机

南町からそれた
茶の子町

共同井戸
つるべ式

森家玄関の
持ち送り

競う卯建

右:森家の卯建

左:大塚家の卯建
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