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トンボ採り  ひらあて  竹馬  コマ回し  なき(ビー玉遊び)  ばい(ベーゴマ) にっちん(メンコあそび)
鉛筆野球  百人一首  ピンポン  一段 名前を思い出せないが
 
☆トンボ採り
 こどものころの遊びの中で、今も心の中に残っていて、できればもう一度やってみたいと思うもののひとつにトンボ採りがあります。しかし、残念なことに環境の変化(そういうフィールドがなくなったこと、環境の汚染など)で今はもう望んでもできないことと思われる。 ここでいうトンボとはギンヤンマのことであり、使う道具はブリ(そう呼んでいた)というものであった。
 夏の日の夕方、近くの広場に出かけて行き日が暮れるまでのわずかな時間が、トンボ採りの時間であった。ギンヤンマがねぐらに帰るため広場の上空を通過するのを狙って、ブリという道具を使ってとるという方法であったから、自ずからその時間帯でしかトンボ採りができなかった。
 誰が考えたのか、いつの頃からこの方法があったのか、それを調べる方法はないが、補虫網や鳥もち竿を使って、手の届く範囲の虫取りと違ったこの方法は、何とも言えないダイナミックな心わくわくするものでした。ブリという仕掛けは、輪ゴムの一箇所に魚つりで使用する鉛の錘(これをシズと呼んでいました。)をつけ、そのちょうど反対側に約1mほどの木綿糸を結び付けた簡単なものです。これを、飛来してきたトンボの鼻先何十cmか前を目がけてゴムの伸縮を利用して飛ばす、トンボがこれを虫と間違えて捕らえにくると、仕掛けにつけた糸に首尾よく絡まった時に、羽が自由を束縛されているうえ、鉛の錘の重さととの負担から、糸に絡まってトンボが落ちてくるというものです。
 ブリを投げ上げるときに必ず掛けるわけではないのですが、確かホイラーとかラッポえーという掛け声があったように覚えている。ギンヤンマのオスはラーと呼びメスをベニと呼んでいた。雌雄の見分け方は、尻尾の付け根のところが青いものがオスで緑色のものがメスとして、簡単に区別がついた。メスの中には羽が褐色になったものがあり、これをドングロと呼んでいたように覚えている。補足できる個体数としては、圧倒的にオスが多く、メスを補足する機会は少なかった。この、メスの補足ができたときには、次の日のまた別のトンボ採りの方法がある。
 前の日に補足したトンボの胴体に糸を巻きつけて結び、1m50cm位の長さにし、3〜40cm位の棒の先に括りつける。日中の池、小川などの水辺が今日のトンボ採りの時間と場所です。水辺にいるトンボの回りを、木の棒に括りつけたおとりを飛ばせると、産卵行動に入るべく異性の固体が繋がりにくる。この繋がった状態で飛んでいるのをギーセンと呼んでいた。オスの個体数の方が多いので、前日にメスを補足しておとりに使えると、オスを補足する機会が極めて高い。
 繋がった状態のなると、いわゆるガチャガチャと音がするような感じで、棒を手元に引き寄せて手で取り押さえることができるような無防備状態になる。おとりのトンボを飛ばせるときに、「ラーほい、ラーほい」と掛け声を掛けたように覚えている。

☆ひらあて
 この遊びは、学校の昼休み時間や放課後に校庭ですることが多かった。場所の広さと仲間の数がある程度多いほうが面白いことがその理由ではないかと思う。
 使う道具はゴムボール(今で言うところの軟式テニスのボールのような少し弾力に富んだもの、それほど質のよいものではなかった。)がただ一つあればよかった。ルールは何もない、ただボールを当てっこするだけの単純な遊び。自分でボールを取らなければ、誰かにぶつける機会がないし、ボールを取りに行けばぶつけられる危険性がある。そのせせめぎ合いだけがこの遊びの遊びたる所以である。
 ちょっと意地悪されて、何人かが組んで、一人を攻めるということもなかったではないが、これが、所謂いじめに繋がるようなこともないよい時代であった。放課後は、日が暮れるまでヒラアテ(どんな字を当てるのかわからない)に興じた日もあった。

☆竹馬
 竹馬は自分で作りました。私の子供の頃は今の時代よりもっと街中に自然が残っていましたが、住んでいた近所には竹の生えているような里山がありませんでした。竹は、竹屋さんで買ってきました。(その頃から何十年もたった今、家の裏山に毎年春先になれば竹が生えてきて、その処理に困っているのはなんとも皮肉です。)
 竹の節は2本が同じ間隔になっているものを選んで買わなければなりません。1段目の節は言うまでもなく、2段目3段目とできるだけ上のほうまで揃っているものを選びます。足を乗せる台は節の直上で2枚の板を端を紐で固く縛ります。縛り終えたらこの板を竹と直角になるようにして、もう一方の端を紐で固く縛ります。これで竹馬が出来上がりです。
 竹馬に乗って遊ぶ方法にはいろいろあります。駆けっこをすること、チームを作って竹馬リレーもできます。竹馬に乗っての鬼ごっこもしました。また、竹の節の2段目、3段目に足を乗せる台をつけて、高くして乗ることもあります。高くすると乗り降りは何かの台の上を利用しました。兵隊さんという乗り方もありました。これは、片方の手を逆手にして竹を持って、ケンケンをしながらその片方の竹馬を持ち上げて肩に担ぎ上げるのです。兵隊さんが鉄砲を担いでいるという形を作るわけです。回れ右というのもあります。右の竹馬を後ろに引いて、くるりと右回りをして、次に左足を前に出すのです。竹馬に乗ってその場にじっと静止するというバランスをとる乗り方もありました。
 日が暮れるまで、竹馬に興じていた頃が懐かしい思い出です。

☆コマまわし
 コマ回しは正月の遊びとして紹介されることが多いですが、私の子供の頃には特に季節に関係なく遊びました。一人で遊ぶときには、コマを回す技術を楽しんで遊んだものです。地面の上でまわして如何に長く回っているかという単純なものから、放り投げたコマを手の上に受けてまわす、放り受け(といっていたように思います、また、手乗せとも言っていたかも知れません)という遊び方も楽しみました。手に受けるときにも、前の方へ放り投げて手に受けるのと、斜め下のほうへ向けて放り投げて手に受けるのでは、コマの回る勢いが遥かに違うので、主に、こちらの回し方を練習しました。
 もっと、上級の回し方になると、チョン掛け、肩掛け、腰掛け、褌(ふんどし)というのもありました。チョン掛けと言うのは、地面のほうに向けて垂直にコマを放り投げ、ヨーヨーを引き上げる要領でコマを上に引き上げます。もう一方の手でコマ回しのヒモの反対側をつかみ、上から落ちてくるコマをそのヒモに引っ掛けて回すものです。このときに、一方のコマのヒモを肩に引っ掛けるように受けて、上から落ちてくるコマをそのヒモに引っ掛けて回す方法が肩掛けです。もう一方の手を腰の後ろから回して、反対側のヒモをつかんでコマを受けるのが腰掛けです。さらに難しかったのは、もう一方の手を股の下から出してヒモの反対側をつかみ、上から落ちてくるコマをそのヒモに引っ掛けて回すふんどしという回し方でした。
 コマを使って鬼ごっこをすることがありました。コマが手の上で回っているときだけ走って逃げる、または追いかけることができるというルールがあって、鬼になった人はコマが回っていなければ追いかけられないわけです。逃げるほうは、鬼が近づいてきたときに、さっと手の上にコマを回して逃げ始めるというテクニックを使いました。手の上に勢いよくコマを回せる技術がある人、コマを手に受けるのに失敗のない人が鬼になることが少なくなります。

☆なき(ビー玉遊び)
 ビー玉を使う遊びの一種。最近ではビー玉が一般的な呼び方のようになっているようですが、私の小さい頃は、たまと呼んでいた。「たましょーか」と言って、たまを使った遊びをしたものでした。「何する?」「なきしょーか」と言ったように使っていました。なきは次のような遊びでした。
 まず、自分の持っている玉を何個かずつ出し合います。3丁出し(サンチョウダシ)といって3人が3個づつ出し合うと九つの玉を使って遊ぶことになります。地面に直径7〜8cm位で深さ3cm位の穴を掘ります。(今の子供には何の意味かわからないでしょうが、その頃の子供の遊ぶフィールドは、殆どがコンクリートで被覆されていない土の地面でした。)穴の両脇から穴の片側を囲むように線を引きます。穴の手前30cm位のところに線を1本引きます。ここに屈み込んで手を伸ばし、穴に目がけて玉(出し合った玉全部)を入れます。
 穴までの距離が遠すぎもせず近すぎもしない距離になっているので、玉の何個かは穴の中に入るのですが、外にこぼれる玉があります、プレイしない者が、その玉のどれかを指定します。プレイするものはその玉を、自分の持ち玉を投げて当てれば勝ちとなり、すべての玉を自分のものにできます。当たらなければ次の者が代わってプレイします。穴の周りに引いた線の手前とプレイするものが屈み込む線の間に玉が出たときは、自分の持ち玉であてて、その玉を必ず線の向こうに転がさなければなりません。これに失敗すると次の自分の番が回ってきても参加することができません。線の手前に玉が出ることをなきと呼んでいたように思います。
 三角出しというたまを使った遊びもしました。これも、お互い何個かの玉を出し合って、玉を取り合う遊びでした。

☆ばい(ベーゴマ)
 バイはバイ貝の形状からの命名なのでしょうか、子供の頃はそんなことまで考えていませんでした。インターネットで調べましたらベーゴマの名前の由来がバイ貝によるものであると出ていました。テレビなどでもベーゴマのことが取り上げられたりしますが、私は子供の頃から今も、バイで通しています。メンコだのビー玉だのベーゴマなんて、関東のほうの異国の言葉だと思っています。小さい頃の郷愁に浸るには昔の呼び方がしっくりときます。
 バイを使っての遊びもタマの遊びと同様に、勝ち負けで相手のものを取り合うというものでした。ごみ箱の上にゴザを被せて窪みがつくように手でならします。最近の子供にごみ箱の上にと説明しても何のことか分からないので、当時(昭和20年代)の生活習慣から説明しなければなりません。各家庭では、家の外にミカン箱(これも説明が要るかな)を使ったごみ箱がありました。この上に先ほど説明したようにゴザを被せて、バイを競うための土俵を作るわけです。二人がこの土俵に同時に自分のバイを投げ入れて、相手のバイを外にはじき出せば勝ちというわけです。
 多くの技量の要る遊びでしたから、強い人が沢山のバイを持っていました。バイの背を低くすること、土俵の中で相手のバイに下からもぐりこむように回し入れること、勢いよく回せることなどが、その技量の主なものです。
 バイの背を低くするために、ヤスリを使って底と周りの研磨がうまく出来なければならなかったので、そんなバイ(できのよいバイのことをケンズと呼んでいました)を手に入れるには、自分で作れない人には、何個かのバイとの交換をしたりも必要でした。

☆にっちん(メンコあそび)
 べったん(メンコのことです)遊びの一種です。これも相手のものを取り合うという遊びです。ここまで書いてくると結構賭博性の強い遊びばかりしていたものです。何枚出しにするかを遊びに参加する者で決めます。例えば、10枚出しで3人が参加した場合30枚を使って遊びます。使う道具としては、ミカン箱のような木箱の台が必要でしたから、やはり、ごみ箱を横にして利用したのでしょうか、または別の何かの台を調達したのかはっきり覚えていません。可能性としては、どこの家庭にもあったごみ箱を利用したのではないかと思います。
 出し合ったべったんを横に流すように1列に台の真ん中辺りにおきます。プレイする者は順番に、自分の手持ちのべったんを使って、台の上の出し合ったべったんを台から落とすようには打ち下ろします。1枚2枚と台から落ちたものが増えるにつれて、次に落ちるべったんと重なり合う機会が増えます。にっちんは台から落ちて2枚が重なる状態を言います。これを完成させた人の勝ちとなって、すべての出し合ったべったんを手にすることが出来ます。
 順番に落としあっているうちに、1度に3枚が重なってしまうことが起こります。この状態になってしまった者は次から順番が回ってきても参加できなくなります。心中したことになります、心中の意味で使っていたのだと思いますが、シンジュと呼んでいました。
 にっちんの変形でさんちんなどもありましたし、決めた札(べったん)を落とした者が勝ちとなるヌキ(抜くという意味でしょうか)と言うのもあったようです。台から落とすのでなく地面に叩きつけて相手のべったんを裏返す遊び方もありました。
 トランプ遊びのように、山を作ってそこに張って遊ぶ方法もあり、この場合べったんには裏面が何らかの数字が書いてあったので、その大小で勝ち負けを決めるやり方がありました。それよりもユニークだったのは、表の絵の状態で勝ち負けを決めるやり方が記憶に残っています。動物の絵がかかれたものはガッチョと呼ばれ1番弱いランクです。人間は人数で弱い強いが決まり、1人の場合1コン、2人の場合2コンなどと呼んでいました。1コンガッチョと言う絵柄もありました。強いほうは天体に関する絵柄で、太陽、月などを引き当てるとたいてい負けることはありません。

☆鉛筆野球
 鉛筆の軸にボール・ストライク・打つ・見逃すなどを書き込んで机上でする野球ゲーム。鉛筆の組み合わせを増やすと結構な駆け引きのある野球が出来る。材料費がかからないので、昔の子供の遊びとしては向いていたのかもしれません。

☆百人一首
 最近、家庭で百人一首をする家は殆どありません。百枚の札の中で上の句の最初の一字で、下の句が決まってしまう(一字決まり)ものが7枚あって、多くの人が得意としていた『ととぎす・・・・・だ有明の・・・・・・・・』もその一枚です。ちなみに、一字決まりの札は、最初の一字を「娘房干せ(むすめふさほせ)」と覚えるそうです。私の子供の頃には、正月になると近所の家に人が集まって、大勢で百人一首をしました。子どもの遊びと言うより大人の楽しむ遊びであったのでしょうが、人数が多いほど場が盛り上がるので、子供の頃(小学校の低学年)から百人一首が出来た私にはお誘いがかかりました。
 取り札を場の真ん中に撒いて周りを囲むように全員で取り合う遊び、二組に分かれてそれぞれの持ち札を取り合って、早く自分のほうの持ち札がなくなれば勝ちとなる源平と言うやり方もありました。
 人それぞれに誰よりも早く取れる十八番(おはこ)という得意札がありました。『ほととぎす なきつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる』(後徳大寺左大臣)を得意札とする人は沢山いましたので、私は、子供ながらにあまり他人が得意としない札を一生懸命覚えました。『由良の門を わたる船人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 戀の道かな』(曽根好忠)は、他人より早く取れる札の一枚でした。
 百人一首には、本来の遊びとは別に坊主めくりと言う遊びもありました。こっちの方は子供の楽しめる遊びで、場の真ん中に100枚の絵札(読み札)を裏向けに積み上げ、参加者が順番に一枚ずつめくります。武家、天皇、大臣、高官などの男性の札をめくると手許におきます、坊主(僧侶、僧都など)をめくった人は、今まで自分が手許に貯まっていた札を場に出さなければいけません。それとは逆に、お姫さん(女官、娘、女帝など)の札を引き当てると、その時場に出されている札を自分のものに出来ます。こうやって、100枚の札をめくり終わったとき、一番多く札を持っている人の勝ちとなります。

☆ピンポン(又はテニス)
 ピンポンともテニスとも呼んでいたたように思います。ここに言うものは卓球でも庭球でもありません。使用するボールは、このページに書いたひらあてで使用するものと同じです。このボールをテニスのように素手で打ち合って遊びます。ゆるく打ち返すより、低い球筋で早く打ち返したほうが相手に打ち返されないのです。このようなうち方を打ち込みと呼びました。低学年が混じっているようなときは、打ち込みなしのルールもありました。
 コートは地面に田の字のような区画を書きます。その、各々の正方形の一区画は1m四方くらいにします。一つの区画に天下と名前を書き、その対面の区画を大名とします。残りの二つは武士と町人です。一度に遊びに参加できるのは4人で、その他の人は、誰かがアウトになるのを待ちます。天下にいると大名に降格し、武士に降格しても、勝った時には昇格するので、長い間待ちの列にならぶことがありません。

☆一段(ゴム跳び)
 ゴム跳びは主に女の子の遊びでしたが、男子でも結構一緒になって遊びました。二人がゴムを持ちます。輪ゴムを何本もつなぎ合わせたものを2人が2〜3mくらいの間をあけて持ちます。一段(この字がこの遊びの名前のもとになっているのかどうか知りませんが)ずつゴムの高さを変えて行きます。最初は誰にでもクリアーできる高さです。その各々の高さは、すね(脛)、ひざ(膝)、ゴリ(腰骨の辺り)、むね(胸の辺り)、わき(脇の高さ)、かた(肩の高さ)、あたま(頭)と体の部位を段々と高くしてゆきます。頭より高い位置をぐ一、ぐ二などと言っていたように覚えています。頭の上に手の握りこぶし(ぐう)一つの高さがぐ一です。
 高さが低いうちはゴムに触れないように跳ぶのですが、高くなるにしたがって、ゴムを足に引っ掛けて、体が向こう側へ越えればよいという跳び方になります。向こう側に越えたときに体の向きがこちら側を向いて終わるように、半回転して丸く跳ぶ(回る)のをおまると呼んでいました。  

☆名前を思い出せないが
 遊びの名前を思い出せないし、適当な仮の名前もつけられないので、ここではその遊びの紹介をして、昔の遊びを思い出して頂くようにします。遊びはその種類によらず人数が多い方が面白く遊べるが、この遊びも同じで何人もいた方が面白い。先ず、地面の上に1mくらいの円を描きます。円の中央には15cmくらいの小さな円を1つ描きます。この円から放射状に線を引き円をいくつかの部分に分けます。幅の広いところと狭いところを故意に作ります。
 順番に並んで、円の手前に引いてある線から、円に向かって円盤のようなものを投げます。これは、鉄で出来ていたり、ガラスで出来た大きなおハジキのようなものを使用しました。ガメンと呼んでいたように思います。
 円の各部分に何かの行為を指定する文字が書かれていています。例えば、電信柱とか誰それさんの家など、そこまで走って戻ってくる指令がかかれています。幅の狭いところには近くにある事物が書いてあるので、なるべくそこにガメンを投げ入れるように狙って投げます。中央の円には何を書いたか忘れましたが、ここに入ると何もしなくても良い特権が得られるゾーンになっています。
 一通り全員が自分のするべきことが決まるようにガメンを投げます。全員の行き先が決まった所で一斉に用意ドンで出発します。早く帰ってきた者から順番に並んで待ちます。遠くまで行かなければならないのがこの遊びの罰ゲームのようなものです。200mくらい町内を走ってこなければならないような指令が当たると大変でした。

 この遊びをは「どこゆき」として紹介している書籍(昭和こども図鑑 奥瀬 達-ポプラ社)に出会ったので、その記事をそっくりここに乗せておきます。(平成22年4月1日記)

 3メートルくらいはなれた線から、円の中に石を投げ入れます。円の中には行き先が書いてありますから、石の入ったところが目的地です。みんなの行き先が決まったら、線にそってかけっこのように並び、「ヨーイ、ドン!」で走り出し、目的地にタッチして、早く帰って来た人が勝ちです。石が〈天〉に入ったら休めます。

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