平成18年8月19日(土)〜8月23日(水) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
青春18きっぷを利用しての旅行は今回が初めてでした。3日分を使用して、次のようなコースを周遊してきました。青春18きっぷを使ってどこまで行ってこられるか、どれだけ多くの路線を走破できるのか、夜行列車の利用も考えてみましたが、予定を組むコースの中に、うまく取り入れることが出来ず、今回は断念しました。 行程の最後の最後に天候に悪戯されて予定が大きく変更になってしまった。これも、旅の思い出としては貴重な体験となった。その、全工程を次に記録しました。 |
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19日の夜行バスで軽井沢まで移動する。今までに、夜行列車なら何度となく利用していたのですが、夜行バスを利用したのは、実は初めての経験です。
今日の行程の中では高崎からの上越線と小出から会津若松間の只見線が未走破の区間であった。横川から軽井沢までの区間は、アプト式の軌道を碓氷峠をあえぎながら登ったものでしたが、今はバスが代行運転をしている。水上の駅では列車待ち合わせの時間が約1時間半あったので、利根川の渓谷を見ながら温泉街まで10分ほど歩き、日帰り温泉の案内が出ていたホテル(ひがきホテル)で温泉を楽しむことが出来ました。 只見線は135k余を4時間46分もかけての、全く乗ってるだけの旅にぴったり当てはまる移動です。停車時間の長い駅が何駅かあって、その都度改札口を出て駅舎の写真を撮ってきました。只見線の様子はここにあります。 20日の宿はウエルサンピア会津若松(厚生年金の宿)をとりました。会津若松駅からタクシーで12〜13分くらいのところにあります。駅からのバスの便もある。ウエルサンピアを冠する厚生年金の宿は全国的に作られています。ウエルサンピア立山を利用したことがあるが、宿泊費からしてお得感があります。 |
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21日は乗り継ぎ時間が短くて、郡山での1時間余がもっとも長い時間であった。駅の近くを歩き回って安積国造神社というそれなりの名前の神社を見つけて賽銭を入れてきた。この他には駅から出ることもなく、ひたすら列車を乗り継ぐだけの行程でした。昼食は宇都宮駅ホームの立喰いうどんを食べて済ませる。 高崎から先は昨日と逆に辿り、軽井沢からしなの鉄道で小諸まで移動です。横川ー軽井沢ー小諸ー上田間はバスとしなの鉄道に取って代わられているけれども、かっては信越本線として高崎から新潟までを結ぶ大動脈として君臨していた。糸魚川から軽井沢までを信越本線に乗って移動した、遠い昔を懐かしく思い出す。 小諸駅前で夕食として、このあたりの郷土料理といわれる鯉の料理(鯉の洗い、鯉こく)を食べた。本日の宿はビジネスホテルのルートイン小諸にとった。駅からタクシーで10分くらいの距離にある。 |
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小海線を利用するのは今回が2回目となる、前回の利用(40年ほど前)では、小諸から小淵沢まで通過しただけであったが、八ヶ岳の姿が脳裏に残っている。今回は中込駅での乗り継ぎと、野辺山駅での途中下車をした。中込は佐久市の町でちょっとした店舗はあるが、観光におとづれるような町ではない、駅から数分歩いて千曲川のほとりまで行ってみた。佐久平のほうには新幹線の止まる停まる佐久平駅がある。 次に降り立った野辺山駅(日本最高所の駅)は、観光立地もよく若者でにぎわう清里などと並んで有名である。駅前にレンタサイクルがあって、程よい距離に、JR線路の日本最高点地、観光牧場、見学のできる乳製品の工場などがある。変わったものとしては日本電波観測所(東京大学研究施設)があり、世界1の直径が45mある電波望遠鏡ほか、施設の中に立ち入って見学ができる。 22日は予定通りであれば、赤字で表示したような行程で旅行を終了することになっていた。しかし、列車が瑞浪駅に到着したときに、この先、古虎渓駅から大曽根駅間で、大雨および雷の発生による運転見合わせがあり、運転再開には相当長時間が予想されると車内放送があった。このままでは今日のうちに帰宅が難しく、出来るだけ先まで進んでおくために、太多線・高山線経由のルートを利用した。 米原まで行けるだけの時間はあったが、遅くなって宿が取れないのも困るので、岐阜泊りにした。岐阜市内でビジネスホテルを探して宿泊。 |
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