HOME - 捨てずに取っておいたもの
 入場券をアルバムに貼ってあるコレクションの類のものは、何時までも手許に残る場合が多いけれども、捨てられずにとっておいたものは何時の日にか手許から逸散していく。そんな中にあっても、思い入れの強いものが、今も手元に残っていて、いよいよ捨てられなくなっているものがある。
 日ごとに取り出して眺めるほどのものではないが、何かの機会に取り出してみて、遠い昔の様子を思い出すことがある。ここには、それらのものを整理してみた。中学3年のときの理科のノート

 右に挙げた写真は、国鉄のキップを収集してアルバムに貼り付けたもので297枚ある。一番旧いものが1961年2月25日のもので、料金が10円。最後に購入したものが1975年10月10日で料金が30円になっている。すべて現地まで出かけて自分で購入した。その駅で下車して購入するか、その駅から乗車して買った。中には、その駅まで一駅歩いて購入したもの、停車時間中に改札を抜けて購入して、通過しただけの駅もある。 

 左に載せた写真は、中学3年のときに作ったノートで、流感(今で言うインフルエンザ)が流行して、学校閉鎖になったときに、宿題として出された課題をまとめたものです。結構細かく挿絵まで入っている。自分でも旨くかけたと思うから、いままで捨てずにおいた。
 旅行を記録したノートや旅行計画書(行程表)なども残っています。これらのうちで、能登半島を1周した旅行、東北地方の旅など、行程の時刻の記録や金銭出納などの記録がよく残っているものを、ページを別にして載せておきます。
 また、日本に返還されるまでに訪れた沖縄への旅行は、専用に作ったノートに訪れた地名、巡った史跡・観光地の記録の他に、金銭の出納までもが克明に記されたものが残っている。日記風の旅行記も綴ってある。その中から南部戦跡(ひめゆりの塔・健児の塔など)の文章をここに載せておきます。

 涙さそう南部戦跡
 線香の絶えないひめゆりの塔・健児の塔。この南部激戦の跡は、幾多の兵士、幾万の人が悲しくも眠っている。この現状は、かって米軍の爆風のように吹きすさぶ、荒れたあの戦火によって残された痛恨である。
 娘盛りを花と散っていったひめゆりの乙女達、祖国日本のために、学びの手に銃をとり、シャベルをとり、第一戦に立ったあの若き学徒、今は安らかに眠りあらん。その安らぎを少しでも破りたくない、参拝の足も一歩一歩音も立てたくないように運ぶ。それが僕に出来るたった一つの心づくしのように思う。
 焼け爛れて痛々しい肌を見せ、緑のない山道をあえぎつつ逃げ惑う人々の顔に浮ぶ玉の汗、土に汚れすり切れんばかりの衣服、そんなことが今は全く嘘のように、緑の原、白い穂、サトウキビが刈入れを待っている。この畑の下に、あの山のふもとに、この洞窟の内にどれだけの人が泣き叫んで息絶えていったのか、今は、数多い塔にそれを偲ぶのみである。('65/01/02) 

 本箱には結構本が残っている。それ程、本を沢山読むほうではないが、捨てずに取っておくと貯まって行くもので、引越しのときなどには、思い切って処分をしているけれども、その都度捨てきれないで残っている本がある。今思えば、捨てずに残しておきたかった本も少なからずある。
 昭和の風物誌のところに夜店のことを書いたが、その夜店で大日本地圖帳と云うのを買ったことがある。奥付けの定価が壱圓だったと思う。この地図帳は台湾も満州も日本の領土としてあったように思う。今は手許に残っていない。ただ、一冊だけその当時に購入して残っている本がある。現代数学読本(矢野健太郎、1957年初版)。古本屋でも結構本を購入している。大阪駅地下に今もある卍屋書店、阿部野橋筋にあった天牛書店にはよく通った記憶がある。気象学講座〈第1巻〉気象学総論 (1958年) はその内の1冊で、今も手許に残っている。
 話が現在に飛んでしまうが、ネット上で本を買うことが増えた。専らアマゾン(amazon)の通販サイトを利用している。買おうとする本を事前に図書館で借り出してみて、手許に残したい本をアマゾンの通販サイトで出品されているのを購入する。古本屋に足を運ぶことがいらないし、また、探している本が直ぐに見つかる保証もない。その点、アマゾンサイトには、どんな本でも間違いなく出品されている。送料がかかるが、古本屋に出向く手間と交通費よりは安くつく。
 あるとき、自分が長い間手許に置いてきた本がいくらくらいで売られているのか調べてみた。すると、結構高額で出品されている本があることが分かった。調べる内に、出店者の中に、ブックオフ(古書専門店)で購入して、アマゾンのサイトで出品しているセドラーと云う小口の業者が多く居ることを知るようにもなった。だったら、もう、手許にとっておくこともないこれらの本を、自分でもアマゾンの通販で売って見ようということにして、残った本の有効利用をすることにしました。

 旧い日記帳も捨てられずに手許に残っている。私のHPの中には、日記帳の記録を調べて書いた件が時々登場しています。このページの中学3年のときのノートの記述の中にも、日記帳の引用がある。
 日記帳で一番旧いものは、中学3年のときにホームルームと云う授業の教材として使ったもので、このときから日記をつける習慣ができたものと思う。1973年の日記帳を最後に、日記をつけなくなったようです。最初は、出きるだけ毎日続けていたようだが、その内に途切れる日が多くなってきて、自然に、日記をつけることがなくなった。

旧国鉄時代の入場券 JRが国鉄として全国津々浦々を走り回っていた頃の入場券がある
中学3年の時のノート 宿題で理科の教科書をノートにまとめたものが残っている
旅行を記録したノートとメモ 列車の時刻や金銭出納の記録も残っているものがある
捨てずに取ってあった本、通販で売って見る 何時か読むかもしれない本、捨てずに置いてあった。せどり
旧い日記帳が残っている 読み返す事もないが、よくも取っておいた物だ
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