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落 合 信濃から美濃への最初の宿場町
町並み分類:宿場町
文化財:落合宿本陣(市指定史跡)
中津川市落合                            2011年7月23日(土)訪問        地図
JR中央本線中津川駅下車、北恵那交通坂下線で落合バス停下車、落合宿本陣へ徒歩約5分
 中津川駅前から北恵那交通バス坂下線で落合バス停まで約10分くらいのところ。バス停の先にある陸橋を渡ったところに「約100mで中山道」の表示があります。ここが落合宿の京側の枡形になっている。
 落合の町並み国道からここまでの約100mほどは新たに作られた道で、枡形の突き当たりに善昌寺があった。その門に掛かるようになっていた松の木が門冠の松として残っている。 善昌寺が東側に移転されてしまったから、今は路上の松になっている。

 落合宿は、三町三十五間(約390m)、家数75軒の小さな宿場町で、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠は14軒を数え、商家は無かったという。中山道43番目の馬籠宿と45番目の中津川宿に挟まれた、あまり知られた宿場町でないため、今は訪れる人も少ない。

 この宿は、文化元年(1804年)と文化12年(1815年)に大火に見舞われている。しかし、本陣が残されているのは、中山道では珍しい例で、本陣家のほかにも、格子、卯建の町屋が少ないながら残っていて、宿場の雰囲気をとどめています。

 宿場の江戸側には上の枡形があって、ここに、常夜燈が残っています。もともと、宿場には4基の常夜燈があって、それぞれ通りの真ん中にあったといいます。ここに残されている上町の常夜燈は、そのまま通りの脇に移設されたもので、寛政4年(1792年)の年号が記されている。あとの3基はそれぞれに他の場所に移設されています。

 宿場の真ん中辺りに、助け合い大釜というのがある。これは、皇女和宮の大行列が通行したとき、この釜で煮炊きをして一行をもてなしたものだということです。

路上の松(左側が善昌寺) 下の枡形(中山道は左にそれて行く) 助け合い大釜
落合本陣井口家 海鼠塀の土蔵も見かけた 上町の常夜燈(上の枡形にある)
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