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垂 井 中山道と美濃路の追分として栄えた。
町並み分類:門前町宿場町
文化財:南宮神社鳥居(国の重要文化財)
岐阜県不破郡垂井町垂井                        2008年8月3日(日)訪問           地図
JR東海道本線垂井駅下車、丸亀屋旅館のある枡形まで徒歩約6分。 
 垂井の宿は中山道六十九次の五十七番目の宿場町で、南宮大社の門前町としても栄えた。江戸時代に入ると、中山道と美濃路の追分という交通の要衝でもありますます栄えた。天保14年(1843)、本陣1軒、脇本陣1軒、問屋場3軒、旅籠が27軒あった。
枡形を形成している丸亀屋の角 宿場は、東の追分から、西の追分まで七町余(約766m)の道程で、街道沿いに東町、中町、西町と分かれて、それぞれに火防の愛宕神社が祀られています。東の見付の少し先の相川を渡った辺りに、美濃路との追分があります。

 本陣は中町に置かれていたが、今は、それを示す標柱と説明板が残されているだけです。すぐ東側に問屋場を勤めた金岩家の商家風建物がある。街道を挟んだ向かい側に、1階屋根に唐破風の庇付きの家屋がありました。
 脇本陣は西町に置かれていました。寛政12年(1800)には南宮大社の石鳥居の西側にあったとのことです。現在は脇本陣門や玄関は本龍寺に移築されて残っています。東町には丸亀屋と云う当時の旅籠が今も残っています。 

 街道は東町で桝形を設け、西町でゆるく曲がってつけられていて、街道の東西からの見通しが利かないようになっている。東町の桝形の角には丸亀屋という旅籠があり、今も営業をしています。おかみさんが一人で切り盛りをされていらっしゃるので、予約を取ってお泊りくださいとのことでした。1777年(安永6)の建築です。

 街道には、往時をしのばせる建物が比較的軒を連ねた状態で残っています。多くは切り妻厨子2階で元々は塗込め虫籠窓を持っていた様子の家屋です。出格子等も残っていますが、部分的な改装がされているものが多いようでした。
 南宮大社の参道の鳥居前の横道に、磯野家の黒板塀の白壁の蔵が見られました。

中町辺りの食堂 この隣りに印刷会社があった 垂井の町には、懐かしい思い出がある。今から40年以上も前の1968年12月3日に垂井の町に仕事できたことがある。このときには駅前の旅館で1泊して、次の朝に目的の印刷会社に出かけた。
 40年ぶりくらいで訪れた駅前の様子はすっかり変わっていて、当時のことが甦ってこない。開放的に開けた駅前には、私が泊まったと思う旅館などなくなっている。その当時の駅前には、行商宿という、地方に荷を担いで出かけて商売をする行商さんの定宿があった。
 私はそんな駅前旅館に泊まった記憶が残っている。玄関の上がり框に行商の荷物が置かれていたのを覚えている。駅前で見かけた方に、そんな様子の旅館を尋ねてみたが、もう誰にも分からなくなっているのでしょうかはっきりした答えが返ってきません。
 私が訪れた印刷会社はその建物を残して、今は別のところで創業していた。残された建物は、私が訪れたあとに建て替えられて姿を変えていたが、確かにここで仕事をしたという懐かしさを感じる。
 その頃に町並みに興味を持っていて、写真でも撮っていたら、保存状態の良い町並みの様子が残っていたのに残念です。

旧問屋跡金岩家 町屋 黒板塀の白壁土蔵
丸亀屋旅館 元旅籠長浜屋 商家油屋卯吉家
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