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備前福岡 山陽道随一の商業都市として栄えた
町並み分類:市場町門前町
公開施設:備前福岡郷土館(日曜日のみ開館) 
瀬戸内市長船町福岡                           2010年3月6日(土)訪問          地図 
JR赤穂線長船駅下車、徒歩約20分 
 駅前の駐輪場のそばを通って線路に平行した水路沿いの道がある。最初の踏切を越えてから更に1km位の長閑な田園風景を見ながら歩く。訪問したのは小雨交じりのうっとうしい日であったけれども、春のうららかな日差しの中を歩くと、雲雀の囀りが聞けてきっと楽しくなるような道です。
東小路を南向きに撮った そこに、忽然というか重厚な建物が建つ町並みが現れる。吉井川の左岸域のほど近いところに、街路が碁盤目のように通った整然とした街並みがある。

 長船と云ったら備前長船の名刀のことを思い出すが、ここは長船町でも福岡と呼ばれるところで、町の名前も備前福岡として紹介します。福岡県の福岡があって岡山県にも福岡という同じ地名の町がある。そのような認識の町でしたけれども、福岡の名称はここから九州の地に移っていったものです。
 関ケ原の戦いのあと、九州の筑前福岡藩主となった黒田長政が出身地である備前福岡にちなんで命名したのが今の九州の福岡市始まりである。

町並み図(写真拡大) 備前福岡の地は、吉井川の水運に支えられて大いに栄えることになる。近在からもたらされるたたら鉄を使っての日本刀の生産が起こり、備前焼の集散地としても栄えてゆく。その後は、岡山城下への福岡の商人が強制移住、吉井川の氾濫による被害などもあって、商業町から妙興寺の門前町または山陽道の宿場町と変遷して町並みが形成されて、今に引き継がれている。

 現在の福岡地区は農村集落の中に厳然と存在していて、まわりの風景には似つかわしくない重厚な家屋が甍を並べている。街区は碁盤目に整理されていて、小路と名前がつけられた町筋は、小路と云うにはふさわしくない広い通りを形成しています。
 本瓦になまこ壁、虫籠窓に出格子という重厚な商家が立ち並び、七口、七井戸、七小路と言い伝えられる町中に、七井戸の遺構も残っていました。

東小路を北向きに撮った 東小路の北詰に建つ
本瓦・厨子二階・虫籠窓・なまこ壁・出格子
上小路の町並み
上小路の町並み 入母屋平入り家屋 下小路西詰に建つ蔵
妙興寺
黒田高政・宇喜多興家の墓がある
復元された七つ井戸の遺構 備前福岡郷土館(日曜日開館)
大正3年建築の旧平井医院
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