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鞆の浦 古代より潮待ちの港として栄えた
町並み分類:港町門前町
文化財:太田家住宅(国の重要文化財)・いろは丸展示館(登録有形文化財)
公開施設:太田家住宅・いろは丸展示館・歴史民族資料館(全て有料) 
福山市鞆町鞆・鞆町後地                          2009年4月3日(金)訪問          地図
JR山陽本線福山駅下車、鞆鉄バスで約30分鞆港下車
 旧家が建ち並ぶ風情ある町並み鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央にあって、紀伊水道、豊後水道、関門海峡などの潮の流れの合流し分岐するところであり、船が潮待ち・風待ちするための良港であった。このために古くから栄えた港町であった。
 西回り航路の整備によって北前船がが寄港し、更には朝鮮通信使、参勤交代の諸大名家、オランダ使節、琉球使節などの寄港によって、賑わった港町であった。

 鞆の浦で特徴的なことの一つに、港町としての歴史的景観を良く残しているところである。江戸時代の港湾施設である常夜燈・雁木・波止場・焚場・船番所が全て揃って残っている。常夜燈は高さが11mあって、港の常夜燈としては日本一のものである。船着場の雁木は200mにも及びこれもここ鞆の浦でしか見られない規模を誇っている。
 また、焚場跡も残っている。焚場は木造船の底を外から火であぶってフナクイムシを除去したり、フジツボを落としたりする場所のことで、さながら今で言うところのドックにあたります。

入江保命酒資料館に展示されている庵看板 もう一つ特筆することは、鞆の浦では薬酒の醸造が盛んに行なわれていることで、保命酒と云う薬酒を造るところが今も何軒かあります。保命酒醸造の入江豊三郎本店には、「入江保命酒資料館」があって自由に拝観ができるようになっています。
 江戸時代初期の万治2年(1659年)に、中村吉兵衛が藩に願い出て、家伝の薬法で製造販売を始めたことが起こりです。明治時代に入り専売件がなくなり、酒造業者が増加して、明治43年に中村家を引き継いでいた太田家住宅では製造を終えた。

太田家住宅
 保命酒の醸造を始めた中村吉兵衛の建物を受け継いだ太田家の建物。建物は、主屋や保命酒醸造蔵など9棟からなり、敷地の四方は道路で囲まれている。
 建築年代は、文書、棟札などから、主屋が18世紀中期、炊事場・南保命酒蔵が18世紀後期などと推測されています。
 道路をはさんで向かいにある別邸の朝宗亭(これも重要文化財指定)は、隠居屋として使用されたほか、藩主御成りの際の本陣としても使用された。

 町並みの西側に南北に走る通りに沿って多くの寺社が建ち並んでいます。この中に沼名前神社があります。地元では祇園さんと呼ばれていて、京都の八坂神社の本社に当たる神社です。境内に国の重要文化財に指定されている能舞台が建っています。

太田家住宅前の通り 太田家住宅(重文) いろは丸展示館
太田家住宅前の通り 蔵に挟まれた路地 岡本家長屋門
林家住宅蔵 林家住宅正面 鞆の津の商家
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