山形県尾花沢市大字銀山新畑 山形新幹線大石田駅からバス約45分 2000年11月3日(金)訪問 09年6月22日(月)再訪問 地図
旅行雑誌に紹介されていた銀山温泉のレトロな旅館街の雪景色を見て、是非行ってみたいと思いました。そんな機会がすぐに作れましたので、これを逃したら次はいつになることか分からないので、すぐに実行に移しました。実は、東京単身赴任の任が解けて大阪へ引き上げるために取った最後の休暇を利用しました。
東京駅発6時32分発の新幹線「つばさ」に乗って出かけました。山形新幹線大石田駅で下車、バスで尾花沢まで15分、ここで銀山温泉行きに乗り換えて約40分で着きます。
温泉街は川を挟んで両側に14〜15軒の旅館が並んでいる。バスは言うまでもなく一般車両も入ってゆくことが出来ないので温泉街の入口にバス停はある。写真で見たとおりの風景がすぐ目に飛び込んでくる。ここはもう大正ロマンの雰囲気を持った風情ある町並である。その中でも一際目を引くのが木造4階建てで、その上に望楼を持った能登屋です。国の登録文化財にも指定されています。他の旅館も負けず劣らずの風情ある建物です。これらの旅館が、軒を接して川筋に立ち並んでいる光景は、何度も書きますが大正のロマンを醸し出しています。
川には旅館街だけでも6〜7つの橋が架かっていて、あちらの道こちらの道と行き来しながら散策を楽しめます。能登屋旅館の建築装飾としての鏝絵などゆっくりと鑑賞するべきところを見逃してきたのは残念。宿泊したときには鏝絵というものを知ってはいたが、銀山温泉でそれを見ることが出来るという認識ではなかったからです。町並の探訪をHPに書いている今、もっとよく下調べをして行くべきだったと後悔している。またの機会を作って是非訪れたいところではあります。
再訪問の記
川筋に沿った旅館街
東北旅行の最初の宿泊地に銀山温泉を選んで再び訪れました。能登屋は予約が取れなかったので、お隣の旅館永澤平八に宿泊しました。大正からの創業で約100年の歴史を持つ旅館が、銀山川に沿って建っています。休業中の旅館が2軒ありました。この前に訪問した時には休館していなかった旅館が休館しているのはさみしいことです。その代り足湯が1ケ所、共同浴場が1ヵ所、貸切浴場が1ケ所できていました。藤屋さんはアメリカ人の女将さんで有名な旅館ですが、新しい建物に建て替えられて、この一角が町並みの連続性を途切れさせているのは残念です。
銀山川をはさんで旅館、共同湯、土産物店が並んでいます。約100mくらいの所に、11軒の旅館があります。この川筋とは別に2軒、合わせて13軒が営業しています。川を渡って行き来するための橋が、この短い区間に10個もかかっています。ほぼ旅館ごとの橋と云える状態です。
高層の木造建築
能登屋は建物の上に望楼を乗せた造りになっていて、一部4階建ての建物です。1階の玄関わきには、2階のテラスを支える洋風の柱があり、和の様式と洋がうまくマッチしています。大正ロマンを彷彿とさせる風格を持っています。古山閣は切妻平入りの3階建ての建物で1階入口は唐破風の屋根がかかっています。その横に、少し小さめの唐破風の屋根がかけられた銀山の山の神を祀ってある祠が建物の一部としてあります。ほかの旅館も3階建てであったり、建物正面に、千鳥破風、唐破風の屋根をつけていて、それぞれに意匠を尽くしています。
道すじに建てられた街路灯は、ガス灯のようなデザインでこれもまた大正のロマンを感じさせるものになっています。
永澤平八(この日の宿) | 能登屋(2階のテラス、4階の望楼) | 古山閣(玄関脇に山の神神社が) 2階の鏝絵が立派。 |
建物を飾る鏝絵
この温泉街のもう一つの見どころは、各旅館の戸袋などに作られた鏝絵があることです。創業当時よりのそのままの姿で残っています。あるものは、旅館の屋号であったり、縁起物のデザインであったりします。中でも、目を楽しませてくれるのが古山閣の建物正面を飾る1年の行事を表している鏝絵で、この町の町案内板にも説明が書かれています。
左:能登屋(家主名)・右:永澤平八(2階滝、3階梅) | 能登屋2階戸袋(富士と三保の松原) | 永澤平八2階戸袋(梅の木) |
古勢起屋2階左側戸袋(屋号) | やなだ屋2階戸袋(家主名) | 古勢起屋2階右側戸袋(家主名) |
古山閣2階右戸袋(屋号) | 古山閣3階左戸袋(宝船) | 古山閣の鏝絵の説明板 |