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弘 前 津軽十万石の城下町     重伝建選定(1978/5/31)・小京都
町並み分類:城下町武家町
文化財:石場家住宅(重要文化財)・旧岩田家・旧伊東家(県指定文化財)
公開施設:旧岩田家・旧伊東家・旧梅田家(無料)石場家住宅(有料)
弘前市亀甲町・土手町・北瓦ヶ町・吉野町                 2009年9月10日(木)訪問        地図
JR奥羽本線弘前駅下車、弘前城の北側方向駅から約2.5km。
 弘前市の重伝建地区は弘前城の北側の若党町のあたりで、堀のすぐ北側の道と、さらに北側の2つの道の通りに、武家屋敷群が保存されている。この地区の西側に旧梅田家と旧伊東家、東側に旧岩田家があります。堀のそばの道に面して石場家住宅が建っています。

板塀と生垣が続く町並み 東西に600m、南北に200mくらいの狭いエリアなので、ゆっくりと見学をしてもそれほど時間を費やすことがありません。旧梅田家・旧伊東家・旧岩田家は料金無料の公開家屋です。石場家住宅は現在も商売をなさっているお家で、こちらの方は料金を100円徴収されますけれども、ご当主が説明などして下さるようです。今回は、弘前の滞在時間を十分に取っていなかったため、内部拝観をしませんでした。    

武家屋敷群
 弘前城の北側一帯を仲町と称していて、現在の地域名で若党町、馬喰町、小人町にあたる地域が、武家屋敷群の残っているところです。綺麗に刈り込まれたサワラの生垣と板塀を回し、薬医門を構える所もあり、変化に富んだ街並みを形成しています。  敷地内に昔の屋敷をそのまま残しているところは数軒しかありませんが、生垣と板塀などが連続性をもった武家屋敷群の雰囲気を保っています。生垣がサワラであることが特徴的です。岩手県の金ケ崎の武家屋敷町でもサワラの生垣です。東北地方の特異性なのかもしれません。

旧伊東家
 旧伊東家は若党町の西の外れにあります。藩政時代に代々藩医を務めた伊東家の住宅で、現在の地に移築復元されたものです。建物の規模から、中流武士のものと考えられます。建物は木造平屋建、寄棟造の桟瓦葺で江戸時代末期の武家住宅の形式を残している。建物正面の左側に式台(玄関)があって、その奥が板敷きの広間でその右側に居室、座敷、次の間、板の間(台所)が配置されている。    

旧梅田家
 旧梅田家は旧伊東家の門を入ってその奥にあります。それは、現在の地に移築復元されたからです。この建物は江戸末期の嘉永年間(1848〜1854)に建てられた武士の住宅で、弘前城の南の在府町にあったものです。
 建物の建築年数及び当初の住居者は、調度品になされた墨書から推定する事が出来るそうです。屋根は茅葺の寄せ棟作りで、建物正面の左側に式台(玄関)があるのは旧伊東家と同じ配置になっています。天井を設けないで屋根の小屋組みがそのまま見える造りになっている。    

旧岩田家
 重伝建地区の東端にあります。寛政10年(1798年) から文化5年(1808年)頃に建てられたものです。茅葺の寄せ棟造りです。柱や小屋組などの主要構造部材、芽葺屋根など、ほぼ建築当初の姿をよくとどめている。県の重要文化財の指定を受けている。    

石場家住宅
 石場家は弘前藩出入りの藁工品荒物を扱っていた商家です。屋号を「まるせ」と称していた。間口9間の入母屋造、柾葺、妻入建物です。弘前城北側の亀甲門向かいの四辻に面して建っています。道路に面した側に「こみせ」を付けていて、津軽地方の雪国の建築の特徴を残しています。国の重要文化財の指定を受けている。先の3軒の武家屋敷が県の持ち物であるのに対して、石場住宅は個人所有のため100円の入館料が必要です。
 石場家の「こみせ」は、幅が少し狭く1mほどで、黒石市の重伝建地区に見られるものと比べて狭いように思いました。地域による違いなのでしょうか。

旧伊東家の門 サワラの生垣が続く 旧岩田家住宅
石場家住宅 石場家のこみせ 旧伊東家の式台玄関
旧梅田家 旧梅田家の門 旧伊東家
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