高野山参詣の町として発展 宿場町 |
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和歌山県橋本市橋本1・2丁目/古佐田1・2丁目/東家2・4丁目 2010年11月06日(土)訪問 地図 | |||
JR和歌山線または南海高野線橋本駅下車、すぐ。 | |||
今からおよそ400年前の天正15年(1587)に高野山の木喰応其という僧が秀吉から領地をもらい、この地に町を開いたことから始まります。応其上人は、紀の川に長さ約235mの橋を架けました。橋本の名の由来は、「橋のたもと」と言うことで「はしもと」と呼ばれるようになった。
その後、秀吉から塩の専売許可・永代諸役免除などを受けて、町は急速に発展して行きました。江戸時代になってからも船継問屋場として、また大和街道・高野街道を往復する伝馬所として、地方物産の集散地となり、この地方の中心地となりました。 橋本の町並みは、紀ノ川に合流する橋本川の東の古佐田地区と、西側の東家地区に点在しています。 |
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橋本2丁目(旧橋本本陣池永洋三家) | 橋本2丁目(池永武文家) | 古佐田1丁目の裏路地 | |
古佐田1丁目(小林家) | 橋本1丁目(まちかど博物館) | 橋本1丁目(応其寺門前) | |
古佐田2丁目の裏路地 | 東家2丁目(堀江家) | 東家2丁目 |