HOME - 町並みを訪ねて - 兵庫県 - 姫路網干
姫路網干 讃岐丸亀藩の飛び地があり陣屋が置かれていた。
町並み分類:陣屋町港町
文化財:山本家住宅・加藤家住宅(共に姫路市都市景観重要建造物)
姫路市網干区新在家・網干区興浜・網干区余子浜           2009年4月28日(火)訪問         地図
山陽電鉄網干駅下車、余子浜地区まで徒歩約5分
 陣屋跡近くの町並み(興浜地区)網干は姫路市の最も西に位置する。揖保川河口に古くから開けた、舟運と瀬戸内海航路の要衝である。揖保川流域の物資の集散地として栄えたところである。

 江戸時代この地は、余子浜村、興浜村、新在家村の3村があり、それぞれが異なる藩の支配地であった。余子浜村、興浜村は丸亀藩領で、新在家村が竜野藩領であった。丸亀藩は興浜村に陣屋を置いていました。この陣屋跡に、老朽化した旧陣屋門を参考にして建てられた歴史資料館が建てられています。

 網干陣屋跡網干区興浜と網干区新在家の区境に境橋があって、丸亀藩と竜野藩の文字通りの境目であった。今は、通りの辻に欄干の一部と親柱が残されています。

 町並みは、揖保川に架かる本町橋の東詰めの、陣屋跡から東に伸びる通り約700mくらいの興浜地区・新在家地区と、船渡八幡神社から専念寺辺りまでの余子浜地区に見られます。

 興浜地区には3階建ての望楼様の塔を塀から覗かせている山本家住宅があります。この建物は明治時代後期に建てられたもの。厨子2階、漆喰塗込の建物です。
 余子浜地区の船渡八幡神社の向かい側には加藤家住宅があります。桁行20m梁間4.7m、木造平屋建一部2階建の切妻造本瓦葺長屋門が通りに面してあります。加藤家は「成田屋」の屋号で廻船業を営むと共に醤油製造も興し、明治・大正期に大いに繁栄した。
 加藤家住宅・山本家住宅はともに「姫路市都市景観重要建造物」に指定されています。

本町橋東詰め(興浜地区) 山本家住宅(興浜地区) 境橋の遺構が残る辻
新在家地区の町並み 新在家地区の町並み 余子浜の町並み
余子浜の町並み 余子浜の町並み 加藤家長屋門(余子浜地区)
inserted by FC2 system