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泉佐野 廻船業で栄えた豪商の町
町並の分類:港町
文化財:旧新川家住宅(市指定文化財)
公開私設:旧新川家住宅(有料) 
大阪府泉佐野市本町、元町、春日町など                2009年4月18日(土)訪問       地図
南海本線泉佐野駅下車、泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅)まで徒歩約7分
泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅)
 泉佐野市の町並探訪のためには、まず、「ふるさと町屋館」から始めるとよいと思います。駅の西口からは約7分くらいで到着します。有料施設で200円の拝観料が必要です。
 泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅)ここでは、NPO法人「泉州佐野にぎわい本舗」の理事長の寺崎様(お名前は後からネット検索して分かったことです。有難うございました。)から旧新川家の建物の説明のほか、廻船業で財をなした豪商食野家の話などを、時間をかけて説明していただきました。
 この旧新川住宅は、江戸中期天明年間(18世紀末)二代目新川喜内が醤油業を営むために建てた町屋で、当時の泉南地域の建築様式をのこしている。市指定文化財です。
 ここで、町歩き用の散策マップをもらって街中を巡ると効率よく回れます。

豪商食野家(めしのけ)
 泉佐野を語るときに、豪商食野家(めしのけ)を外すことはできない。現在、食野家の遺構として残るものは、市内の第一小学校に残る一本の松の木と、屋敷跡の井戸枠の石組と食野宅跡の石碑がひっそりと建っている。かってはいろは四十八蔵と呼ばれ多くの蔵が建っていたと云われる、いろは蔵通りに数棟の蔵がその面影をとどめて残っているだけです。
 食野家の全盛期は江戸中期以降の約百七十年くらいの間に、廻船業、大名貸しなどで財をなし、大阪堀江の一帯の土地と建物、此花区の春日出のあたりの新田開発へと発展していく。岸和田藩の藩札の信用の元締めもしていた。明治維新後は貸金がすべて貸し倒れになって食野家は衰退してゆきます。

泉佐野の町並み
 町並保存が進んでいいないけれども、古い建物が点在して残っています。城下町や寺内町などと違って、自然に発展して形成された町なのでしょう、通りが真っ直ぐについていません、ゆるく湾曲した道、かぎ型に曲がった道、突当りの道など、その道筋に合わせて建物も建てられている。先に見た、旧新川家住宅は、店先と土間の部分は緩い台形でした。
 先にも書いたように、四十八蔵があった辺り、浜で積み下ろした荷物を乗せた荷車が往来した車道の辺りなどでも古い町の佇まいを残しています。この町は広さの割にお寺の多いことにも気が付きます。

くるま道(春日町2) 本町5 お旅所付近(本町)
お旅所付近(本町) 元町9 元町12
天上家(本町7) 西座家(春日町2) いろは蔵(本町5)
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