自治組織箱本十三町のまち 町並み分類:城下町・花街 公開施設:箱本館「紺屋」入館有料 |
||
大和郡山市紺屋町、豆腐町、車町、柳1丁目〜4丁目など 2009年12月3日(木)訪問 地図 | ||
近鉄橿原線近鉄郡山駅下車またはJR郡山駅下車、紺屋町交差点まで徒歩約7分 | ||
郡山の都市が形成されたのは、戦国時代末期に筒井順慶が大和を統一して、天正8年(1580年)に郡山城の築城をしてからである。順慶が去ったあと、1585年に豊臣秀長が郡山城に入り、郡山はこの時期に大和国の中心都市として栄えた。城下町の拡充が行なわれ、本格的な城下町の発展を見る。
郡山には、箱本と呼ばれる自治組織があった。運営は、十三町の当番制で、当番の町は特許状の入った朱印箱を置き、「箱本」と染め抜いた小旗を立て、一ヶ月全町の治安・消火・伝馬の役をこなした。紺屋町にある箱本館の名前の由来となっている。 町は碁盤目状の造りになっています。南は元旅籠であった花内屋のある通りから、北は郡山城址の北側の県道9号線までの約1km、東西には、JR関西本線と近鉄橿原線に挟まれた約800mが町域になっている。 町のほぼ中央辺りに東西に紺屋町がある。通りの中央に水路(紺屋川)が通っている。この水路を使って、当時13軒あった紺屋が布をさらしていた。紺屋町は染屋のあった職人町です。豊臣秀長の時代(1585−1591年)に成立したところ。 町の南側に東岡町、洞泉寺町がある。この辺りには、木造3階建ての建物があり、傾城町の面影を残している。かっては遊郭として栄えたところであったが、東岡町は今は殆ど寂れてしまっている。旅館として営業を続けていた様子が、取り払われずに残っている看板で様子が偲ばれるが、廃墟に近い状況のものも見受けられます。 南北の柳1丁目から4丁目の通りには、元旅籠であった花内屋、呉服商を営んでいた和田徳という屋号の古い建物が散在していて、家並みの形勢を見ることが出来る。 郡山の町中には、明治を遡る歴史的建造物に登録された文化財が存在していないが、町の北側に当たる本町に、大正後期建築の洋館造りの杉山小児科があり、国の登録有形文化財に指定されたている。 |
||
ここも遊郭であった(東岡町) | 元旅籠花内屋(柳町) | 元呉服商和田徳(柳4丁目) |
旧川本邸(洞泉寺町) | 箱本館「紺屋」(紺屋町) | 菊屋(柳1丁目) |