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吉田神楽岡町 大正時代の先進的な貸家住宅群
古い住宅街 
京都市左京区吉田神楽岡町                        10/02/28(日)訪問              地図
京都市バス銀閣寺道バス停下車徒歩約10分 
 今までにも多くの町並みを見て歩きましたが、それらの多くのものは、江戸時代から明治期にかけての家屋が残されている歴史的町並みであった。すでに紹介した、銀山温泉街の大正ロマンをかきたてる様な時代が少し下がった町並みは少なかったように思う。
整然と区画された建物 そういう意味からすると、この吉田神楽岡町は歴史的町並みとは感じが違っています。更に。町並みという表現でよいのでしょうか比較的小さな区画の中に新しく開拓された、大正から昭和にかけての町並みがひっそりと残っていました。町並みを分類するときに、宿場町、城下町、在郷町、門前町、港町、農村集落などとどれかに当て嵌めができるのに、ここ神楽岡町は、住宅街という表現以外のうまい分類を思い出せません。

 大阪の豪商・谷川茂次朗が、大正末期から昭和にかけて、吉田山の東麓の傾斜地を造成したところで、山を削って石垣を組み数段の宅地を造り、そこに貸家住宅を作ったものです。東に大文字を望む景勝の地で、1つの区画もゆったりと取られています。高級感のある貸家住宅です。
 家の屋根は銅板で葺いてあります。建物の前の道は石畳で舗装されています。すでに、櫛の歯がこぼれるように空き地となっているところや、新しく建て替わった家もありますが、当時の風情はまだ十分に残っていました。
 傾斜地にあるために、坂道や階段を上り下りしなければならないこの土地が、不便さゆえに新たに開拓されることもなくひっそりと残っているのかもしれません。

擁護壁で区切られている 石垣が組まれている 街路にはこのような階段が多い
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