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翁 座 芝居小屋設備:
 回り舞台・奈落・迫上り・花道・擬宝珠付き高欄・鳥屋・ぶどう棚・
 大向こう席・折上げ格天井
文化財指定:指定なし    創建年:1923年(大正12年)
所在地 広島県府中市上下町上下                         訪問 平成21年1月17日      地図
JR福塩線上下駅下車徒歩約10分
 翁座全景芝居小屋が建てられて今も残されている土地に共通していることは、ある時期にその土地が大いに隆盛し、その後においてもそれなりの繁栄が続いたというところではないかと思います。大都会の人口が密集した産業の発達した土地では、さまざまな変遷を繰り返して、文化が発展し、また衰退しながら、その設備としての劇場も変化してゆくのでしょうが、地方の都市では歳月を経て、消滅してゆくもの、活動を休止するもの、細々と生き続けてゆくものがある。
 上下町は広島県の山間にある町で、その昔には石見銀山の物資輸送の街道筋として栄えた土地で、この地に芝居小屋が建てられ、長い間にわたって生き続けてきたことは理解できる。翁座は一時活動を中止して、キャバレーや工場として利用されたこともある。今は、数の限られた興業ながら、地元の人たちの努力で劇場として生き続けていることは嬉しい限りです。

 JR福沿線の上下駅は途中の府中駅で列車を乗り継がなければなりません。府中までは30分に1本くらい運行されている列車も、府中から先は日中は3本の列車が走っているだけのローカルになっている。こんな山間の町にあって上下の町は凛とした空気を感じる町です。白壁と海鼠壁の古い家並みが残り、かっての繁栄が伝わってきます。翁座は町のはずれに建っています。    

建物の沿革
 町内の富豪の出資で大正14年に建築されました。棟梁が京都南座を見学してそれを参考にして建てたそうです。その様子が建物に残されている。昭和2年に株式会社として興行を開始し、昭和21年に現在の持ち主の所有となりました。翁座は個人所有の芝居小屋として存続しています。
一時期目的外の使用の憂き目にあいながらも、テレビなどのマスコミの力に助けられて、地元の努力と持ち主様の力で劇場として生き続けています。    

京都南座を模した折上格天井客用設備
 一階は枡席の区切りを取り払った平場になっています。桟敷席もそこが桟敷席であると分かるようになっているだけで、桟敷としての設えなどは取り払われていました。一階の正面席もそのことは同じです。この劇場で当時の様子を伝えている遺構は、二階の大向こう席・桟敷席に廻らされた手摺で、擬宝珠高欄が付いた京都南座を模した見事な細工がしてあります。客席の天井がやはり立派なもので、折上げ格天井(おりあげごうてんじょう)が建築当初のまま残っています。    

舞台および装置
 舞台上部に掲げられた扁額舞台には直径が6.5mの回り舞台が切られています。いまは固定されていて回転しないようになっています。回り舞台につきものの迫が設けられていませんでした。舞台の後は緞帳を下ろしてあって、楽屋、小道具部屋には立ち入らないようにと指示されています。緞帳の後ろをそっと覗いてみるくらいしか出来ませんが、どこの芝居小屋とも同じような造りになっているようです。
 舞台に奈落へ下りる入り口があります。今はその床板を持ち上げて中を覗くだけしか許されていません、降りるための階段も撤去されています。中にカメラを差し込んで写真を一枚だけ取ってきました。
 花道にはスッポンが備わっていました。この花道は撤去されていたものを近年復活させて取付けたものです。鳥屋は仕切りをして囲ってあるわけでもなく、必要に応じて幕で囲って使用すると聞きました。    

映写設備
 1階から2階に上がる階段の途中に映写室に入る入口があります。2階の大向こう席の壁に映写機用の穴が、今もあけられたままで残っています。    

施設の見学
 興業のない日の土日祝日(年末年始を除く)の11時から15時までの間に、入館料200円を払って見学ができます。見学は自由に館内を見て回るようになっています。私が訪れた日は若い娘さんが受付に座っていて、舞台の上で劇場の簡単な説明をして下さいました。こちらの幾つかの質問にも答えていただきました。

奈落の様子 舞台上のぶどう棚 大向こう席の後の壁の映写機の穴
花道と舞台 二階席の擬宝珠付き高欄 回り舞台
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