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堺 鉄砲鍛冶職人の町
町並み分類:工業町
文化財:山口家住宅(国の重要文化財)・鉄砲鍛冶屋敷(市指定有形文化財)
公開施設:山口家住宅(市立町屋歴史館)有料
堺市堺区錦之町東・桜之町西・北旅籠町西・九間町東・九間町西       2012年1月26日(木)訪問   地図
阪堺電軌阪堺線綾ノ町駅下車界隈
 鉄砲鍛冶屋敷(市指定文化財)堺の町は、大阪夏の陣(1615年)の戦火にまみれ、中世以来の街並は消失した。戦略的にも重要な町であったために、徳川幕府による新たな町割りがスタートした。
 元和の町割りと呼ばれ、縦横の道が南北に長い長方形の碁盤目状に作られた。この時、施設された縦横の道路は、ほぼそのまま、現在まで継承されている。  

 紀州街道(桜之西町)の町並み堺は、近年においては、第二次大戦の戦火に遭い、徳川幕府によって復興した町が、再び消失してしまう。
 現在の市を南北に貫いて走る阪堺電軌の路線が走るのが、戦後に拡幅された紀州街道で、大道筋と名前を変えています。
 その戦火から免れた北部地域に一部、町並みが残されています。紀州街道も昔のままの道幅で残っている。
 堺は15世紀の当初には環濠が整備された自治組織を持つ自衛都市でもあった。その様子は、市の西側から南側を流れる土居川に残されている。
 種子島に伝来した鉄砲は数年後にはこの地で製造が始められ、全国一の鉄砲の量産地であったことは良く知られている。後には、打刃物の生産に取って代わっていき、今も、堺の地場産業として息づいている。  

 錦之町東にある山口家住宅は、江戸時代の様子を良く伝える建物で、町屋歴史館として一般公開されています。大阪夏の陣後に直ぐ建てられた物のようで、日本でも最古級の町屋といわれている。およそ400年の歴史がある。2度の増築がなされているが、最初に建築された土間とそれに連なる3室の座敷の部分は国の重要文化財に指定されている。
 ちなみに、わが国最古の町屋は、奈良県五條市に遺されている栗山家です。  

 北旅籠町にある井上邸は、堺にただ一つ現存する鉄砲鍛冶屋敷で、総間口12間半の4棟の切妻平入の建物からなる。2階屋を持つ棟と、建物の背面のみを2階屋にした棟等が変化のある家並みを形成しています。建物の前面に、細格子があり、武者窓風の出格子窓があり、変化を持った建物になっています。
 江戸初期の鉄砲鍛冶の生活がしのばれる貴重な建物です。鉄砲鍛冶屋敷は市の指定有形文化財になっています。

九間町西の町並み 山口家住宅(錦之町東) 北旅籠町の町並み
北旅籠町の町並み 桜之町西の町並み(紀州街道沿い) 九間町東の町並み(部分拡大
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