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今も残る
          大阪の渡し舟        

 大阪には今も渡し舟が残っている。高速道路が発達し、長大橋が港湾を跨ぎ、海峡を超える時代にも、どっこい、今も力強く渡し舟が健在です。そのけなげな姿を乗船記を交えてここに記録しました。渡船場をめぐるに当たっては、ガイドブックが必要です。大阪支庁に行けば「渡船場マップ」をいただけます。写真に写っているもののうち青い表紙のものが、いま発行されているもので、もう一つのものは過去に配布されていたものです。                  

 大阪の渡し船を完乗したことで、全国各地の渡し船に乗ってみたいと思うようになりました。ここには、そんな乗船を記録を書いてみます。全国各地の渡し船

 ☆大阪の渡船のデータは探訪記の後ろに掲載しました。

渡船の名称 所 在 地 渡る水路・岸壁間距離 交 通 手 段
@天保山渡船 港区築港−此花区桜島 安治川・400m 地下鉄大阪港駅徒歩6分(渡船)JR桜島駅徒歩10分
A千歳渡船  大正区北恩加島−大正区鶴町 尻無川(大正内港)
371m
新千歳バス停徒歩10分(渡船)鶴町4丁目バス停徒歩6分
B甚兵衛渡船 大正区泉尾−港区福崎 尻無川・94m 泉尾4丁目バス停徒歩8分(渡船)福崎1丁目バス停徒歩5分
C船町渡船 大正区鶴町−大正区船町  木津川運河・75m 鶴町1丁目バス停徒歩4分(渡船)西船町バス停徒歩4分
D落合上渡船 西成区北津守−大正区千島 木津川・100m 南海汐見橋線津守駅徒歩9分(渡船)大正区役所前バス停徒歩13分
E落合下渡船 西成区津守−大正区平尾 木津川・138m 南海汐見橋線津守駅徒歩10分(渡船)大正中央中学校前バス停徒歩12分 
F千本松渡船 西成区南津守−大正区南恩加島 木津川・230m 南津守2丁目バス停徒歩5分(渡船)千本松橋西詰バス停徒歩2分
G木津川渡船 大正区船町−住之江区平林北 木津川・238m 中船町バス停徒歩4分(渡船)木津川渡し通バス停徒歩8分
H安治川河底トンネル 西区安治川−此花区西九条 安治川・80.6m 地下鉄九条駅徒歩7分(エレベーターとトンネル)JR西九条駅徒歩5分
源八渡し跡 源八橋西詰北側 大川 JR桜ノ宮駅下車して源八橋を対岸に渡り河岸遊歩道を北に20m
上記各渡船就航の所在地はここをクリックしてください。

☆★探訪記★☆

 
天保山渡船
 地下鉄大阪港駅を降りて海遊館の方へ歩く、海遊館の東側天保山公園のはずれに乗場(地図)がある。日中は毎時0分と30分の2回就航している。 平成18年7月11日16時40分天保山発に乗船。この船(この日の就航船は海桜)の乗員は3名、乗客は7名と自転車が3台。船は定員80名で座席はない。乗船時間わずかに2分、あっという間に対岸の桜島(地図)に着く。下船してから道なりに歩き、約10分でJR桜島駅に着く。
 JR桜島駅から1駅でユニバーサルスタジオ駅に行ける。USJと海遊館を楽しむための移動手段として、天保山渡船を利用するのも旅の思い出になると思う。お勧めです。料金は無料です。
 今日(平成19年7月1日)はJR桜島駅から天保山の方へ、前回と逆コースで乗船しました。目的は天保山(日本一低い山海抜4.5m)に登って登山証明書を取得するためです。この日の乗船者数は、大人11名子供7名、自転車8台で乗船時間の午前11時は、いつもこのくらいの乗船数なのでしょうか。ただ、天保山側から乗船してきた人数は大人34名子供5名と結構な数です。この中に多くの外国人が乗っていました。USJで働いている外国からの就労者と思われます。 TOP 
乗場への道乗場への道 天保山乗場天保山乗場 天保山側桟橋天保山側 天保山側時刻表天保山側時刻表 桜島側桟橋 対岸に観覧車が見える桜島桟橋
対岸に観覧車が見える
桜島側乗場桜島乗場

  
 
千歳渡船
 JR大正駅から市バス鶴町4丁目行きに乗り、終点で下車して徒歩約6分で千歳渡船場の案内板を目にする。渡船場はどこも同じ、近くには港湾関係倉庫、陸運関係の駐車場などが多く、商店、民家が少ない。
 7月30日13時20分、乗員2名、乗客7名、自転車5台と予想に反して利用客が多い。渡航時間約3分で大正内港を渡る。船名ちづる62名定員で座席はない。天保山渡船のような待合室としての建物は鶴町側、恩加島側乗場ともにない。  TOP
乗場案内(鶴町側)
乗場案内(鶴町側)
待機船(鶴町側)
待機船(鶴町側)
時刻表(鶴町側)
時刻表(鶴町側)
乗場(恩加島側)
乗場(恩加島側)
渡船事務所(恩加島側)
渡船事務所(恩加島側)

 
甚兵衛渡船
 千歳渡船の下船後に新千歳バス停まで徒歩約10分くらいを歩く、ここからバス停で3駅ほど先の泉尾バス停まで乗車し、このバス停から約8分のところに甚兵衛渡船がある。今日は、バスを使用せずに通しで移動した。
 道路わきに写真の「甚兵衛渡船場」の案内板に出会う。この辺りは公営の住宅が立ち並ぶ。例によって、商店などは少ない。船は他の渡船に比べて少し小さめの定員46名(最大48名)の「きよかぜ」丸というオレンジ色の船体。今回7月30日14時00分の乗員2名、乗客7名自転車が5台。高校生風の乗客が複数乗っています。通学路としての足代わりになっているのかもしれない。
 泉尾の乗船場の目の先に港区福崎側の桟橋が見えている。わずかに20〜30秒の乗船時間です。船に座席がないのは、渡船の機能(自転車なども渡す)からして、乗船時間の短いことからしてもうなづける。  TOP

乗場案内
泉尾側

泉尾桟橋

 
船町渡船
 JR大正駅から市バス鶴町4丁目行きに乗り、鶴町1丁目で下車してバス停を50mほど行きすぎてすぐの道を南の方に歩く。しばらくは住宅街を通り、道を一つ隔てたところから工場が立ち並ぶ。ちょうどその場所に船町渡船場の案内がある。約4分ほどで乗場に着く。渡船事務所の横からスロープを登って待合所に出る。八坂丸という予備船が繋留されている。運行船はふなづるという船名をつけていた。木津川運河約75mを半円状に航行して対岸に着く、帰りは反対側に半円を描いて航行するので、往復で一周の円を描くように渡航する。ここも、46名定員のオレンジ色の船体は、他の渡船場と同じ船。9月9日11時30分の往路は私と自転車を押してもう1名が乗船する。30秒もしない間に亘ってしまう。帰路の乗客はなし。
 船町側は大きな工場が連なっている。工場密集地の割りには街路が整理されているのは、日立造船、中山製鋼など名の通った企業ゆえに、環境への配慮の表れと思われる。西船町バス停、中船船町バス停を17〜18分通しで歩いて木津川渡船場に至る。 TOP


船町乗場案内

鶴町桟橋

鶴町乗場
鶴町側に戻る船

船町乗場

 
落合上渡船
 落合上渡船は木津川を渡る4つの渡船の中で1番上流にある。落合下渡船を乗船後に大阪市バスを利用して大正区役所前まで移動、ここから千鳥公園の周辺散策路を歩いて約12〜13分で落合上渡船場に着く。渡船場の近くまで民家があって、他の渡船場周辺よりも人気を感じる場所にある。
 対岸(西成側)からの乗客6名と自転車5台を下ろした後次の運行まで待船する。本日(8月12日)13時の乗客は、私と自転車利用のもう1名で、乗員2名の合わせて4名。定員46名(最大48名)と大阪の渡し舟の規格船と思う。対岸までの約100mを30秒ほどで渡る。 TOP

渡船事務所
大正側
大正側桟橋 大正側から対岸 木津川水門 西成側から対岸

 
落合下渡船
 西成区の側(津守)から乗船した。JR芦原橋駅で下車して南海電鉄汐見橋線の芦原町駅から一駅津守駅で下車。駅前の西成公園を横切って歩けば約10分位の道のりを、浄水場を取り巻くように歩いたため16〜17分かかってしまった。
 渡船場は浄水場の裏手にあたり、人気のないところに位置するところは、多くの他の渡船場と代わりがない。大正区側からの2名(自転車渡航)を降ろして折り返し運行する。11時45分の乗船客2名(自転車1台)、1分弱で100m余を渡る。大正区側は市営住宅と公園が渡船場近くまで迫っている。 TOP
南海電鉄芦原町駅 渡船場案内
西成側
西成側乗場入口 西成桟橋 西成桟橋へのスロープ
大正桟橋 渡船事務所(大正側)

 
千本松渡船
 平林駅から住之江公園までニュートラムに乗り、バスに乗り継いで南津守2丁目で下車、ここから徒歩約5分で千本松渡船場に着く。千本松渡船は千本松大橋の下、対岸までの約230mを渡す。大阪の渡し舟の中で最も乗船数が多い渡船で、今日(9月9日)14時45分の乗船数も8名(自転車7台)で、対岸からの乗船数も18名(自転車18台)と多かった。定員46名のはるかぜが就航している。
 船はS字を描くような格好で対岸に渡る。桟橋のそばにスクラップがうず高く積み上げられた工場(大阪製鋼所)がある。千本松大橋を渡って来る車の量が多く、信号待ちをしている間、ひっきりなしの車列が続く。最寄の千本松西詰バス停を通り、大正通の大運橋通りバス停まで約15分歩く。 TOP 
乗場案内津守側 桟橋へのスロープ
津守側
千本大橋
津守側から
津守側に向かう
はるかぜ
大正側乗場

 
木津川渡船
 船町渡船場の船町側は、日立造船、中山製鋼所、ラサ工業、三菱瓦斯化学などの巨大工場が続く中を歩く。渡船場桟橋の上を新木津川大橋がかかり木津川を越えている。木津川渡船の渡船事務所も船町側に設けられている。待機予備船として第2松丸、運行船は松丸46名乗り。9月9日12時45分の便で渡る。00分の便が戻ってきた直後に桟橋に到着したので、約40分近く出航待ちとなった。この日は結局、私一人が乗船しただけでした。
 対岸の住之江区平林へは2分弱で渡る。平林側は雑然とした街路が続き、海運倉庫、駐機場(トラック、トレーラーなど)と人の気配の感じられない。歩くにしたがって街路が綺麗になってくる。木津川渡し通バス停から平林駅前まで約25分歩く。 TOP

渡船案内板
船町側
渡船事務所
船町側
船町桟橋に
到着する船
船町側乗場 新木津川大橋
平林側乗場

 
安治川河底トンネル   地図
 これは渡船の代わりに川底にトンネルを掘って人を対岸に渡す。昔、この場所には「源兵衛渡し」という渡船があったところ。
 この河底トンネルは当初、車も通行していたが、車の大型化、高速化などにより、エレベーターの通行方式では対応しきれなくなったことと、上流・下流に橋がかけられたこともあって、今は人と自転車のみの利用になっている。
 JR西九条を降りて南のほうへ約5分歩く、信号を渡った先に川底に下りるエレベータ乗場(安治川トンネル北)がある。向かって左(上流側)にはかって利用されていた車用の大きなエレベータが2基シャッターを下ろしたままで残されている。エレベーターは頻繁にほぼピストン運転されている。その都度、自転車と人が乗り込む、自転車が多くて定員58名(3800kg)のエレベータに積み残しが出ることもある様子で、利用者の多いことが分かる。エレベーターは15mほど下る。対岸までは徒歩での移動となる。歩道は明るくきれいに整備されていて、トンネルの中というイメージより、地下街の通路を歩いている感じで、女性や子供にも安心できる。エレベーターと併設で階段も設けられていて、約90段ほどの高低を昇降するようになっている。朝のラッシュ時にはエレベーターの運転回数が多くても、この階段はを利用することがあるのではないかと思われる。なお、階段は終日利用可能となっている。
 渡船とは比べようもないほどの利用者の数で、これは、どちらの乗場もまったく生活空間と隣接している立地による。渡船場乗場にありがちな、ダンプトラックがひっきりなしに砂塵を巻き上げて走り抜けるような場所でもなく、周りに巨大な工場が存在する場所でもなく、かと言って、人影まばらな魔界に踏み込んだような場所でもない所に乗場がある。通勤通学だけでなく、生活導線として普通の道路と同じように人が通り過ぎてゆく、渡船設備もそうであるが、川底のトンネルも法律上では道路の範疇に入るのである。
 建設の工事は昭和10年12月から昭和19年9月までかかった。戦時中であったこと、河底トンネルとしては日本には例のない工事であったこと、その他さまざまな悪条件を克服して竣工した。(大阪市建設局作成のパンフレット『安治川河底とんねる』に詳しい) TOP


安治川河底トンネル
北口乗場

人荷用エレベーターと
階段入口

トンネル内の
エレベータ乗場

安治川河底トンネル
南口乗場

河底の通路

 
源八渡し跡
 昭和11年6月に源八橋の架橋によって廃止されて、今はその碑が残されている。場所は源八橋西詰から河岸の遊歩道に降りて北に20m程行ったところにある。 TOP


源八渡し跡の碑

源八橋の欄干

☆★大阪の渡船場のデータ★☆

就航船について
 八つの渡船場の探訪を終えた後、渡船を管理運営している大阪市建設局渡船事務所を訪問しました。所員の方から乗船するだけでは知りえない、情報を教えていただきました。
 8渡船場を大阪の渡船場としてまとめてHPに掲載していますが、実は、木津川渡船だけは、大阪市港湾局管理部作業課の管理運営となっています。それに至る経緯のおはなしもお聞きしましたが、ここでは割愛しました。
 探訪記の中に、就航している船の名前、船の定員(乗員、乗客数)を分かる範囲で書いておきましたが、資料を頂きましたのでここに整理して掲載しました。

渡船場別の就航船データ
渡船場名 就航船と定員数 就航船と定員数
天保山渡船場 海桜 定員83名(乗員3名乗客80名) 天保山丸 定員83名(乗員3名乗客80名)
千歳渡船場 ちづる 定員64名(乗員2名乗客62名) しおかぜ

すずかぜ

さざなみ

福崎丸

八坂丸
この5隻を左の6つの渡船場で使用する。
定員48名(乗員2名乗客46名)
甚兵渡船場 きよかぜ 定員48名(乗員2名乗客46名)
船町渡船場 ふなづる 定員48名(乗員2名乗客46名)
落合上渡船場 北斗 定員48名(乗員2名乗客46名)
落合下渡船場 みどり丸 定員48名(乗員2名乗客46名)
千本松渡船場 はるかぜ 定員64名(乗員2名乗客62名)
木津川渡船場 松丸 定員48名(乗員2名乗客46名) 第2松丸 定員48名(乗員2名乗客46名)

利用客の考察

自転車利用が多い
 乗客の多くが自転車とともに利用しているのが特徴的です。探訪記の中にもしばしば書きましたが、渡船場にいたる道のりは、住居地域から隔絶されたようなところが多く、甚兵渡船場の泉尾側、天保山渡船の天保山乗場、船町渡船の鶴町側など、住宅が迫り、人の息遣いを近くまで感じるところは少なく、船町渡船場の船町側のように巨大工場群の中を行く渡船場への道、落合下渡船場の西成側では、異界に迷い込んだ感すらあるようなところがあって、おおむね、住居地域から遠い場所になっています。このため、渡船場には自転車を使った乗客が多くなるのではないでしょうか。
 平成17年までの直近の5年間で見ると、毎年83%から86%という高い率で、自転車利用の乗客がいます。渡船場ごとの率で見ますと、船町渡船場の49.1%(平成17年)は、工場群への通勤者が、バスで通ってきて船で渡るから、比較的徒歩の乗客が多いのではないかと思われます。逆に、甚兵渡船場の泉尾側は住居地区に近いに関わらず、93.8%(同)という率で、自転車を利用した乗船です。泉尾側に高校が3校あって、自転車通学の学生の利用が多くを占めているのでしょうか。ここで、あげる各数値は、渡船事務所でいただいた資料を基にしています。よって、木津川渡船場分についての集計は入っていないことを考慮して解釈してください。

乗客数の推移
 渡船場毎の年間の乗客数を見ますと、535千人を数える甚兵渡船、393千人の千本松渡船から71千人の利用と少ない船町渡船まで、大きな開きがあります。各年度ごとに、千歳渡船、天保山渡船の順位が入れ替わることがあっても、落合上渡船、落合下渡船と続くようです。平成元年からは、今の7つの渡船場(ここでは木津川渡船場のデータを除いてあるので)運行されていて、1、400千人から1,700千人くらいの乗客で推移しています。ここ数年は乗客の増加を見ているようです。右のグラフ参照

渡船場の減少
 大阪に8つもの渡船が運行しているのに、他府県の渡船場の運営は、大阪のそれとちょっと性質を異にするものがあり、また、その運行数も極めて少ない。荒川に現存する矢切の渡しは、有料(100円)の観光的要素の強い(寅さん記念館のある葛飾区柴又側から対岸の松戸市を結ぶ)ものがり、多摩川にはゴルフ場に渡すための渡しが現存していると聞いている。大阪の川は水質も良くなってきているが、尻無川、安治川、木津川など渡船の残っている川は、生活臭とは別の生産臭(こんな言葉があるのでしょうか)すら感じる。大阪市は水の都として栄え今も多くの橋が残されているが、川筋に残る造船所(今はめっきり少なくなったが)を初めとする工場群が、船の航行のため、橋の代わりとなる渡し舟を残すことにもなったのだと思う。
 その8箇所しか残っていない渡船場も、昔はもっと多くの場所で運行していました。昭和57年に2ヶ所(木津川の難波島渡、安治川の富島渡)平成元年に2ヶ所(安治川の3丁目渡し、尻無川の中渡)の廃止があり、現在の8箇所(木津川渡船含めて)になった。渡船場数と船舶数は次のような経過を辿っている。(木津川渡船のデータは入っていない。) TOP

年度 明40 大10 大14 昭7 昭10 昭15 昭25 昭39 昭44 昭45 昭49 昭51 昭52 昭57 昭61 昭62 昭63 平1
渡船場 29 29 29 31 31 30 15 14 13 12 11 11 11 9 9 9 9 7
機械船 0 0 0 19 32 48 5 20 26 23 23 21 20 18 17 16 13 13
手漕船 48 57 69 53 37 12 16 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

☆★渡船探訪後記(渡船巡りを終えて)★☆

 天保山に渡し舟があることを知ったのは、「USJから海遊館に観光客を運ぶ船(キャプテンライン)とは別に就航しているのでは」とホテル(定年退職後の職場)に宿泊しているお客様から聞いたのが最初でした。それで早速乗船してみました。このときに調べたインターネットの大阪の渡し舟のサイトに、8箇所もの渡し舟が今も健在なんだと知って、興味をそそられました。
 おもに昼下がりの、渡し舟にとっては閑散とした時間帯で探訪しましたから、乗客数も少なく、また、乗船場への道のりも人の気配をあまり感じない、世間から取り残された感じを受けました。しかし、大阪市建設局渡船事務所でいろいろとお話をおききして、地域と密着した、市民にはかけがえのない交通手段であることを知りました。通勤、通学の時間帯の利用数、幼稚園の送り迎え、買い物の行き帰りは主婦にとっては有難いものであるとも聞きました。病院通いの利用もあるそうです。歩け歩け運動の団体客が利用されるたこともあったそうです。私のような、渡し舟に乗ることだけが目的の暇人も増えているのではないでしょうか。
 そんな話を聞いていると、渡船場への道と待合所に人の気配を感じ、到着船から自転車を押しながら下船してくる人の流れ、それと入れ替わりに、桟橋に降りてゆく乗船者とのすれ違う様子、ざわめきと人の体温が、私が体験した、物理的には閑散としていた渡船場の様子を別のイメージで置き換えられるように思いました。
 大阪市建設局渡船事務所の所員の方から、丁寧にご説明いただき、参考になる貴重な資料を頂きましたこと、この場を借りて御礼申し上げます。('06/09/15記)

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