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高 取 日本三大山城「高取城」の城下に発展した町。くすりの町。
城下町
植村家長屋門(県重要文化財) 
奈良県高市郡高取町観覚寺・下土佐・上土佐・下子島・上子島       2010年11月2日(火)訪問     地図
近鉄吉野線壺阪山駅下車、駅前から国道を渡ってすぐ南北に走る街道を歩く。
 近鉄壺阪山駅から国道169号線を渡った先に、南北に通じる街道がある。この辺りでは土佐街道と呼ばれている。左折して北には約300mくらい、右折して約1kmくらいの街道の脇に、高取上の城下町を形成している。

高取町観覚寺の町並み この地はもともとが、大和の八木から壷坂寺に通じていたため、町場として発展していたところであったが、高取城が築かれ藩主や藩士が城下に移り住むことで、城下町の形態を整えていった。南から、観覚寺、下土佐、上土佐、下子島と続く町並みが、下子島に入ると、商家造りの町並みが武家屋敷の造りに変わる。このあたりが、札の辻と呼ばれている。高取郵便局のあるところ。

 上土佐は昔、土佐町と呼ばれていたところで、古く6世紀に労役のために、土佐から大和朝廷に召されてやってきた人たちが、労役を終えた後も、ふるさとへの帰還が果たせずに、故郷を偲んで名づけた土地名だそうです。この街道を土佐街道と呼ぶのもそのためなのでしょうか。

 札の辻の先が下子島、上子島で、武家屋敷田塩邸、植村家長屋門がある。両家とも現住の家屋で、内部を拝観できませんが、往時の姿をとどめた風格ある建物です。田塩邸の長屋門には与力窓と呼ばれる、横向きに格子の嵌った窓が見られます。玄関式台の脇に格子の嵌った監視窓付きの塀をめぐらせた中庭のような区画があり、これは、他所では見られない様式だと説明がある。植村家長屋門は巨大なもので、海鼠塀の意匠が目を引きます。この道を真っ直ぐ進むと、山城高取上に至ります。

 札の辻を右に折れて、清水谷と呼ばれる町のほうにも歩を進めました。お里沢市(壷坂霊験記で知られる)の菩提寺がありました。土佐街道と違って古い家屋の家並みは少なくなりますけれども、重厚なつくりの家屋も散見出来ます。土佐街道筋でも、この道筋でも見かけましたが、高取の町には多くの製薬会社があります。くすりの町として古くから発達していたところでもあります。

くすりの町高取
漢方薬を扱う店 高取はくすりの町でもあります。山間の町に薬種業が栄えるにはそれなりの歴史があります。飛鳥時代と言うから今からもう1400年も前の古い歴史を持っている。612年推古天皇が聖徳太子などを率いて、高取の山野に薬狩りに行ったという記録がある。
 この地が豊かな自然に恵まれた条件にあったこと、中国からの医薬術が伝えられたことなどから、薬種業が発展したものです。これが、修験者によって全国に広められていったこと、高取城藩主の施策にもより、置き薬販売として販路を広げてゆきます。
 平成の現在でも、製薬が続けられています。町中で何社もの製薬会社がありますし、漢方を扱うお店なども見かけました。

 高取以外でも、奈良県の大宇陀、岡山県の総社など薬種業が栄えていた町があります。

横道から見た下屋敷門(石川医院) 下土佐の町並み 武家屋敷田塩邸(下子島)
田塩邸内の式台玄関を見る 植村家長屋門 下土佐の町並み
     
上土佐の町並み 下土佐の町並み 清水谷の町並み 
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