馬力 | 洗い張り用具 | 計算尺 | まくり | 煙硝鉄砲 | こより(紙縒り) | 二股ソケット | かまど |
かや(蚊帳) | DDT(殺虫剤) | 尺目盛物指 | 氷の冷蔵庫 | 缶切り | |||
☆馬力(運搬用馬車) 馬に荷車を引かせて荷物を運搬しているのを見かけました。荷車とはいえ相当の量が積載できるつくりのものでした。馬が歩いて牽く速度なので、後ろから追いかけていって飛び乗ることができました。馬方(運転手)が後ろを振り向いて見つかると、慌てて飛び降りたりしたものです。車の時代が到来してからは、お役ご免となってしまいました。 ☆洗い張り用の板、張り手、伸子 私の家では洗い張り用の板と張り手(この名前はHPを書くに当たって初めて知りました)と伸子(細い竹製で両端に針がついたもの、シンシ針とも)がありました。実際に使って洗い張りをしていたのを見た記憶はありませんが、道具が残っていたところをみると、洗い張りが一般家庭の作業であったと思われます。 ☆計算尺 電卓の普及とともにその役目を終えて、今では誰も使用する人がいないのではないでしょうか。その昔には、そろばんの検定試験と同じように、商工会議所の計算尺の検定がありました。工業高校では必須科目でした。 計算尺ってどんなものと思われる方のために写真を添えておきます。本体は竹でできています。これは温度湿度の変化で伸縮することの少ない性質を持つ竹が最適だからです。物差がその昔、竹でできていたのと同じ理由です。表面に白色のプラスチックを貼り付けてあり、これに目盛りがつけられています。この目盛りが対数目盛りで、目盛りの長さを足したり引いたりして、乗算、除算、累乗算などができる原理になっています。 計算尺の大きさは長さで呼び、一般的には10インチ(写真の一番上のもの)か8インチのものでした。携帯用として胸ポケットに入るように5インチのものもありました。各種の目盛を計算尺の両面につけた両面型(写真の上側の2本)と片面だけの片面型(写真の下側2本)がありました。 ☆まくり 「まくり」ってどんな字を書くのでしょうか。これは道具というのではなく薬品に分類されるものです。虫下しです。虫下しってなに、虫って何なのということですが、昔は人は体内に寄生虫を宿している人が多くいました。回虫、サナダ虫、ベン虫などの寄生虫です。これを対外に排出するための薬がまくりです。学校で定期的に検便があったのは、寄生虫の宿主になっていないかの検査です。 小学校で定期的に服用させられました、まったく奇妙な味とにおいで、飲み下すのに四苦八苦したことを思い出します。海草でできていたのだと思います。(後で調べて分かったので追記しておきます海人草という海草からできています。) ☆煙硝鉄砲 子供の玩具です。今でもあるのでしょうか。鉄砲の素材はブリキ板を加工したもの(最近懐かしく語られるところのブリキ玩具で、これに、火薬を細い紙のうえに等間隔に乗せてその上からまた別の紙で固定して作られた巻紙を装てんして、遊ぶものでした。引き金を引くと一箇所の火薬が弾けて音がします。「パン、パン、パン」と連続で鳴らすこともできるようになっていました。これは、主に正月の遊び道具でした。 この種の遊びには、投げ弾というものもありました。これは、煙硝(火薬)を紙の礫(つぶて)にしたもので、地面に投げ下ろすと火薬が弾けて、「パン」という音をたてました。 ☆こより(紙縒り) 七夕の頃になると、近所に住む子供をもつ母親が、私の母にこよりを作ってと頼みに来ていたことお思い出します。昭和30年代の初めの頃のことです。この頃に、既に紙縒りを作れないお母さんが沢山いましたから、今の時代、自分でこよりを作れる人も少なくなっていると思います。 七夕の笹につるす短冊をこよりで結びつけるのです。子供が学校へこよりを持っていかなければならないので、こよりを作れる母の元に依頼が来たものでした。 ☆二股ソケット 昭和初期の屋内配線は天井からぶら下がった電灯用に利用される器具だけで、壁にコンセントが設えられているような事はなかった。だから、室内照明用とは別に、アイロン、ラジオなどを使うときには、天井からぶら下がった器具から分離してもう一つの接続のためのコンセントに代わるものが必要になる。二股ソケットはそれを解消するために考案されたものです。 松下電器創業者の松下幸之助が考案したものといわれている。 ☆かまど かまどは決して絶滅してしまったとは言えない。今でも、こだわりを持って米飯を提供する店などでは、かまどをで鉄釜と薪を使用してご飯を炊いている店があるし、都会を離れると、古きよき日本の伝統を色濃く残している地方では、しばしば、土間にかまどが残されているのを、テレビで放映される。 しかし、一般の家庭において、それも、都市部の住宅に限定してみれば、これはもう完全に生息していない絶滅種に違いない。私がまだ小学生から中学に上がる昭和の20年代には、自分の家にかまどがあり、ご飯を炊くことから、他の煮炊きものまでをこのかまどを使っていました。かまどのことは大阪ではへっついさんとかおくどさんと呼んでいました。予断になりますが、大阪ではものの名称に「さん」をつけることが多く、「お鍋さんの中にあるやろ」「お釜さんに入ってるで」といった調子で登場する。 子供の私は、家事の手伝いとしてかまどでご飯を炊いたことが何度もあります。まず、炊きつけといって火のつきやすい新聞紙をねっじったもの、細かい木切れなどを使って火をおこします。そこに段々と大きな木切れ追加してゆきます。火の勢いが強くなるように、火吹き竹を使って風(息)を送ります。ご飯が炊き上がると、燃え残っている木をかまどから出して、かまどの中に炭状になっている木切れ(からけし)は火消し壷に入れて保管します。 自宅からかまどがなくなった日のことは思い出せませんが、かまどでご飯を炊いた記憶はしっかりと残っています。 |